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【名詞】 1. (a) riot 2. an insurrection =========================== ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ 一揆 : [いっき] 【名詞】 1. (a) riot 2. an insurrection ・ 揆 : [き] 【名詞】 1. plan 2. rule
一揆(いっき)とは、日本において何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達成しようとすること、またはそのために盟約、契約を結んで、政治的共同体を結成した集団及び、これを基盤とした既成の支配体制に対する武力行使を含む抵抗運動。ドイツ語のPutsch〔クーデターや政変、暴動などを意味する〕の訳語としても使われる(カップ一揆や、アドルフ・ヒトラーらが起こしたミュンヘン一揆など)。 == 概要 == 『孟子』に由来する言葉で、本来は揆(やり方、手段)をひとつにするという意味で、平安時代後期から鎌倉時代には武家が団結する意志や集団行動を表す言葉として使われているが、同時代には易占の結果や意見が一致するという用例も見られた〔奥富敬之『吾妻鏡の謎』吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)、2009年、p97〕。江戸時代になると、幕府に公認された既存の秩序以外の形で、こうした一揆の盟約による政治的共同体を結成すること自体が禁じられるようになるため、近現代の日本では一揆自体があたかも反乱、暴動を意味する語であるかのように誤解されるようになった。確かに一揆が反乱的、暴動的武力行使に踏み切ることもあるが、こうした武力行使が一揆なのではなく、これを行使する「盟約に基づく政治的共同体」そのものが一揆なのである。こういった誤解のため、日本の一揆が英訳されて日本国外に紹介されるに際しても、 riot, revoltといった暴動や反乱を意味する語として訳されるのが一般化してしまった。近世の「百姓一揆」もpeasant uprisingと英訳されて紹介されているが、現実にはpeasantの意味する零細な小作人だけによるものではなく、むしろ村落の指導的な立場に立つ裕福な本百姓らによって指導されており、彼らはむしろ英語で農場経営者を指す語であるfarmerと訳すのがふさわしい事を考慮すると、これも歴史的事実に即した英訳とは言えない。また逆に、政府に対する暴動、反乱を意味するドイツ語の「Putsch」を日本語訳する際にカップ一揆、ミュンヘン一揆とするように「一揆」の語を当てることが慣用化している面があるが、これも中世の日本の一揆とは似て非なるものと言わざるを得ない。 室町時代・戦国時代を中心とした中世後期の日本社会は、下は庶民から上は大名クラスの領主達に至るまで、ほとんど全ての階層が、自ら同等な階層の者と考える者同士で一揆契約を結ぶことにより、自らの権利行使の基礎を確保しており、正に一揆こそが社会秩序であったと言っても過言ではない。戦国大名の領国組織も、正に一揆の盟約の積み重ねによって経営されていたのである。例えば戦国大名毛利氏の領国組織は、唐傘連判状による安芸国人の一揆以外の何者でもなかった。そのため、一揆が原因になることもあるが、政権の転覆を図る反乱、暴動、クーデターなどとは本来ははっきりと区別されるべき語である。 いわゆる暴動に該当するのは、一揆の形態のひとつに過ぎない、土一揆である。その最初の例である正長の土一揆については、尋尊の『大乗院日記目録』において、「日本開白以来、土民の蜂起之初めなり。」と記載されており、土一揆というのは極めて特異なものであった事がうかがえる。 このように、実際に一揆の盟約によって秩序が達成されていた中世後期から、表向きは一揆が禁止されていた中で実際には百姓身分の権利行使運動として恒例化していた江戸時代のいわゆる百姓一揆の時期を経ることで、現代では一揆の本来の意味は忘れられ、理解されがたくなってしまっている。そのため、戦国大名毛利氏を成立させた毛利元就の生涯を描いたNHK大河ドラマ『毛利元就』において、元就が安芸国人の国人一揆を結ぶ場面で一揆の語の使用が避けられて、「国人領主連合」なる一種の現代語訳が用いられた例もある。逆の例としてウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一揆」の詳細全文を読む
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