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一本列島(いっぽんれっとう)とは、1988年(昭和63年)3月13日の青函トンネル開業と同年4月10日の瀬戸大橋開業によって旅客鉄道・貨物鉄道(JR)7社の路線が全て線路で結ばれた事と、それに伴って実施されたダイヤ改正に対する、「日本列島」と「一本」を掛け合わせたJRのキャッチコピー及び鉄道ファンなどの間における通称名である〔『JR編集時刻表』(編集・発行 弘済出版社)1988年3月号の表紙〕。 == 開業までの経緯 == 本州と九州の間は1942年(昭和17年)の関門鉄道トンネル開通以降、関門国道トンネル・関門橋・新関門トンネルが次々貫通して一体化が進みつつあったが、北海道・四国との間は戦後も長らく陸上交通では結ばれておらず、日本国有鉄道(国鉄)の運営していた青函連絡船・宇高連絡船・仁堀連絡船、更に民間航路で連絡するという時代が長く続いていた。 それでも戦前から橋ないしはトンネルによって日本列島4島を結ぼうという構想はあり、1954年(昭和29年)の洞爺丸事故や1955年(昭和30年)の紫雲丸事故を受けて青函トンネルと瀬戸大橋の建設が決定、前者は1961年(昭和36年)に、後者は1978年(昭和53年)に着工された。 しかし航空機と自動車の時代になったことから、完成するころになって、特に青函トンネルは鉄道しか通らないことから「無用の長物と化すだろう」という声が強くなり、「トンネルごとセメントを流し込んで固めてしまえ」とか「石油の貯蔵庫にしろ」などという意見も出るありさまになったという。当初は北海道新幹線計画の一部として青函トンネルを整備する予定であったが、整備新幹線計画の凍結が国鉄改革の一環として定められた結果在来線として整備しなければならなくなったので、なおさらのことであった。また1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化によって成立したものの、経営基盤の弱いJR北海道やJR四国が青函トンネルの保守費用や瀬戸大橋の通行料を捻出することができるのかという声もあった。 それでも建設したからには使用しなければ無駄になるということで、分割民営化の翌年になる1988年(昭和63年)に両路線を予定通り在来線の海峡線(津軽海峡線)・本四備讃線(瀬戸大橋線)として開通させる事が決定、前者は3月13日、後者は4月10日に開業した。この時JRグループの作ったキャッチコピーが、「レールが結ぶ、一本列島。」であった〔。後にも先にもJRグループ全体でダイヤ改正をPRしたテレビCMを放映したのはこの時だけであり(各社が独自に製作したCMも別にあり、JR東海では当時中日ドラゴンズの主力選手であった落合博満を起用したりもしていた)、以後はJR各社が独自にダイヤ改正をアピールするテレビCMを制作することとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一本列島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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