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一朱金(いっしゅきん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種である。 一朱判(いっしゅばん)、または発行が文政期のみであったことから文政一朱判(ぶんせいいっしゅばん)、あるいはその形状から角一朱金(かくいっしゅきん)ともいう。 == 概要 == 形状は正方形。表面には、五三の桐紋と下部に「一朱」の文字が刻印されている。 裏面には「光次」の署名が刻印されている。 額面は1朱。その貨幣価値は、1/16両、また1/4分に相当する。 二朱金、二分金とともに小判、一分判に対し一両あたりの含有金量が低く抑えられ、補助貨幣的に用いられた〔青山礼志 『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』 ボナンザ、1982年〕。 金純度が最低水準であり、他の小判および分金同様に製造時に表面の銀を溶解する色揚げ操作が行われていたが、流通による磨耗からすぐに銀色の地金が姿を現し、さらに火災に遭うと固体拡散のためか銀貨同然の光沢となったという。 また通常、小判および分金は製造過程で一枚ずつ厳密な量目(質量)の検査が行われるが、この一朱判に関しては、五両ないし十両一括で量目の検査が行われるという始末であった〔三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年〕。 文政7年(1824年)5月から鋳造が始まり、同年7月2日より初めて発行されたが、金純度も低く偽金貨のような色を呈し割れやすいもので、 その上、小さくて扱いづらく紛失しやすい事もあり不評であった〔瀧澤武雄,西脇康 『日本史小百科「貨幣」』 東京堂出版、1999年〕。 天保3年(1832年)に鋳造終了、天保11年(1840年)9月末には通用停止となった。 それ以降、1朱という額面の貨幣は一朱銀に取って代わられる事になる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一朱金」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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