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(n) type of silver coin in the Edo period =========================== ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ 一朱銀 : [いっしゅぎん] (n) type of silver coin in the Edo period ・ 朱 : [しゅ, あけ] 【名詞】 1. (1) scarlet 2. red 3. (2) bloody ・ 銀 : [ぎん, しろがね] 【名詞】 1. (1) silver 2. silver coin 3. silver paint
一朱銀(いっしゅぎん)とは、江戸時代後期に流通した長方形短冊形の銀貨の一種で計数貨幣である。額面は一分の1/4、一両の1/16に当る。 == 文政南鐐一朱銀 == 文政7年7月2日(1824年)から通用開始された文政一朱判は、小型方形で金品位が低いため、すこぶる評判が悪く、あまり流通しなかったため〔三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年〕、文政12年7月10日(1829年)から改めて南鐐(上銀)を素材とする長方形の文政南鐐一朱銀(ぶんせいなんりょういっしゅぎん)が通用開始された。この一朱銀の額面に「一朱」と示さず「以十六換一兩」と表示している点は南鐐二朱銀と同様である〔瀧澤武雄,西脇康 『日本史小百科「貨幣」』 東京堂出版、1999年〕。一両分の量目(質量)は11.2匁に過ぎず、南鐐二朱判よりさらに低いもので出目(でめ/改鋳利益)獲得を目的にしていることは明らかである。すなわち銀製の金兌換券と見做すべきものである。 公儀灰吹銀および回収された旧銀から一朱銀を吹きたてる場合の銀座の収入である分一銀(ぶいちぎん)は文政南鐐一朱銀では鋳造高の3.5%と設定され、また丁銀および南鐐二朱判などからの吹替えにより幕府が得た出目は『銀座年寄御賞筋願之義申上候書付』によれば1,595,779両であった〔田谷博吉 『近世銀座の研究』 吉川弘文館、1963年〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一朱銀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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