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四納言(しなごん)とは、平安時代中期一条天皇の時代に活躍した4人の公卿(源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成)の称。藤原斉信が大納言、他の3名が権大納言まで昇ったことからこの称がある。 == 概要 == === 「恪勤上達部」 === 「四納言」という言葉は、『十訓抄』(第一、四納言事)に由来し、漢の高祖の時代に実在した「四皓」(『史記』留侯世家)と呼ばれる賢者に擬えられたと言われている。また、『続本朝往生伝』には当時この4人の他に5名(藤原実資・源扶義・平惟仲・藤原有国、他1名は不詳)を加えた「九卿」が存在したという〔関口、2007年、P123。〕。 その一方で、四納言は藤原道長政権を積極的に支えた公卿であった。道長と距離を保っていた藤原実資の日記『小右記』寛弘2年5月14日(1005年6月23日)条には、「右衛門督以下恪勤上達部伺候云々、以七八人上達部世号恪勤上達部、朝夕致左府之勤歟」と記されている。「恪勤」には職務に精励するとともに、高官に仕える身分の低い従者(侍)の意味を持っており、実資は右衛門督(藤原斉信)以下の上達部(公卿、ここには俊賢・公任・行成を含む)が左府(左大臣藤原道長)の従者に成り下がったと嘲笑したと解されている。反対に「賢人右府」と呼ばれた実資がこの賢者の代表とされる四納言に含まれないのは、彼が右大臣に昇ったこともあるが、実資は有職故実に通じた賢人でかつ小野宮流の嫡流であったことから、道長の権勢に対抗することが可能な状況にあったところが大きい〔関口、2007年、P123及び黒板、1994年、P161-162。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四納言」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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