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一柳 直重(ひとつやなぎ なおしげ)は、伊予西条藩の第2代藩主。初代藩主・一柳直盛の長男。 == 生涯 == 慶長3年(1598年)、山城国伏見において、一柳直盛の長男として生まれる〔。 慶長14年(1609年)、丹後守に叙任〔。この年、徳川家康・徳川秀忠に拝謁〔。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では父と共に参戦している〔。以後、徳川秀忠や徳川家光の上洛・日光社参に供奉〔。寛永10年(1633年)には、九鬼久隆転封後の鳥羽城守衛を父や弟とともに命じられている〔。 寛永13年(1636年)8月19日に父の直盛が死去。同年11月24日に父の遺領のうち3万石を継承、伊予西条藩主となった〔。このとき、次弟の直家に2万3000石余(川之江藩→小野藩)、三弟の直頼に1万石(小松藩)を分与している〔。 藩主として、陣屋町(喜多浜町)の構築や加茂川の治水工事、新田開発などを行なって藩政の確立に尽くした。寛永17年(1640年)の讃岐高松藩の生駒高俊改易においては、松平定房や加藤泰興と共に高松城在番を務めた〔。 正保2年(1645年)に48歳で死去し〔、跡を長男の直興が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一柳直重」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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