|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ 橋 : [はし, きょう] 【名詞】 1. bridge
徳川 斉敦(とくがわ なりあつ)は、江戸時代の御三卿・一橋徳川家の第3代当主。 安永9年(1780年)11月21日、第2代当主・治済の六男として生まれる。寛政5年(1793年)4月8日に一橋家の世子だった兄・治国が死去したため、同年6月6日に代わって世子となる。同日に元服し、兄の第11代将軍・家斉から偏諱を受けて斉敦と名乗り、従三位・左近衛権中将兼民部卿に叙任される。 寛政10年(1798年)11月23日に左大臣二条治孝の娘・保子と婚姻する。寛政11年(1799年)1月27日に父・治済の隠居を受けて家督を相続する。文化5年(1808年)12月1日に参議に任じられた。 文化13年(1816年)9月4日に死去した。享年37。法号は厳恭院。文政5年(1822年)8月9日に権中納言が追贈された。跡を次男・斉礼が継いだ。 趣味は絵画で、その作品が今も現存している。 ==外部リンク== * 一橋徳川家記念室展示 茨城県立歴史館 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳川斉敦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tokugawa Nariatsu 」があります。 スポンサード リンク
|