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徳川 斉礼(とくがわ なりのり)は、江戸時代の御三卿・一橋徳川家の4代当主。 享和3年(1803年)10月3日、3代当主・斉敦の次男として誕生する。文化元年(1804年)9月28日、一橋家の世子となる。文化11年(1814年)2月19日に元服し、伯父にあたる将軍・家斉から偏諱を受けて斉礼と名乗り、兵部卿に任じられる。 文化12年(1815年)8月5日に従三位左近衛権中将に叙され、文化13年(1816年)9月4日に父・斉敦が没したため同年10月4日に当主に就任する。文政2年(1819年)4月6日に伯父にあたる田安徳川家当主・斉匡の娘・近姫と婚姻する。 文政6年(1823年)7月8日に遠江国1万石を幕府に返納し、代わりに摂津国1万石を賜る。文政10年(1827年)2月18日には遠江国・武蔵国・下野国三国の3万石を幕府に返納し、代わりに摂津国・越後国・備中国三国の3万石を賜る。同年閏6月1日に参議に就任する。 文政13年(1830年)6月14日、28歳で死去した。法号は憲徳院。天保7年(1836年)6月2日に権中納言が追贈された。 嗣子が無かったため、養子の斉位(斉匡の四男で近姫の異母弟)が跡を継いだ。 ==出典== *『徳川諸家系譜3』 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳川斉礼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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