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一瀬 隆重(いちせ たかしげ、1961年1月18日 - )は、日本の映画プロデューサーである。映画製作会社の株式会社オズ代表取締役、オズラ・ピクチャーズ社長(現在は廃業)。ハリウッドの代理人はICMパートナーズ。 兵庫県神戸市出身。関西学院中学部・高等部卒業。関西学院大学中退。 ==経歴== *少年時代から多数の映画に刺激を受け、20歳の時に原作・製作・監督を務めて54分のカラー8ミリ映画『理想郷伝説』を制作(製作=いちせ会、1981年8月14日中野公会堂で公開〔理想郷伝説 - 日本映画データベース、2012年6月20日閲覧。〕)。1983年に大学を中退して上京し『空気の缶づめ』(1983年)〔空気の缶づめ - 日本映画データベース、2012年6月20日閲覧。〕、『夢で逢いましょう』(1984年)〔夢で逢いましょう - 日本映画データベース、2012年6月20日閲覧。〕などの8ミリ映画を制作。 *1984年、23歳の時に『星くず兄弟の伝説』(手塚眞監督)でプロデューサーを務め本格的にデビューした。初のメジャー作品で、エグゼクティブプロデューサーを務めた1988年公開の『帝都物語』は、興行収入18億円(配給収入10.05億円)を記録し注目される存在となる。 *1989年に株式会社オズ、1992年にはロサンゼルスにオズラ・ピクチャーズを設立。以降、中田秀夫や清水崇とのコンビでジャパニーズホラーを躍進させ、2004年、『呪怨』をリメイクしてプロデュースした『THE JUON/呪怨』が全米興行収入1位を記録する大ヒットとなり、ハリウッドからも注目される日本人プロデューサーのひとりとなった。 *2005年米20世紀フォックス本社とファーストルック契約を締結。日本の映画人とハリウッドスタジオの契約は、1926年(大正15年)に阪東妻三郎率いる阪東プロとユニバーサル社との配給契約以来。 *2012年7月6日、株式会社オズが経営不振により法的整理の手続きに入ったと報道された。〔一瀬隆重氏の「オズ」が法的整理を決定 - 映画.com・2012年7月7日〕これに伴い公式ブログやウェブサイトも閉鎖され、2015年9月9日付で、破産手続き開始の決定を受けた。 *2015年6月13日、屍憶 THE BRIDEのFacebook ページ〔屍憶 - Facebook、2015年6月17日閲覧。〕で、Yahoo!台湾の映画ページに掲載されている一瀬隆重プロデューサーからのメッセージ動画〔屍憶 - 【首播】監製獨家專訪 - Yahoo奇摩電影、2015年6月17日閲覧。〕が紹介された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一瀬隆重」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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