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一等寝台 : ミニ英和和英辞書
一等寝台[いっとう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いち]
  1. (num) one 
一等 : [いっとう]
 【名詞】 1. first-class 2. first-rank 3. A1 4. the most 5. the best 
: [など]
  1. (suf) and others 2. et alia 3. etc. (ら)
: [ね]
 【名詞】 1. sleep 
寝台 : [ねだい]
 【名詞】 1. bed 2. couch
: [だい]
  1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles 

一等寝台 ( リダイレクト:A寝台 ) : ウィキペディア日本語版
A寝台[えいしんだい]
A寝台(Aしんだい)とは、国鉄およびJRにおける寝台車の区分において、B寝台の上位に位置する寝台設備である。なお、JR以外では長距離フェリーの一部にも「A寝台」という名の設備があるが、本項では専らJRのA寝台についてのみ述べる。
等級制時の一等・二等寝台車、2等級制時の1等寝台車にあたる。設備は個室寝台と開放式寝台に大別できるが、現在は個室寝台が主流となっており、2013年以降は開放式A寝台を備えた列車は定期・臨時を含めて存在しなくなった。車体の種別記号は等級記号であるイロハのと、寝台車を表すを組み合わせたロネである。
== 等級制時代 ==

=== 戦前 ===
1900年明治33年)に山陽鉄道神戸 - 三田尻(現・防府)間急行に初めて一等寝台車を連結した〔「寝台車 山陽鉄道に施設」1900年3月14日報知新聞『新聞集成明治編年史. 第十一卷』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。この車両の寝台設備は車両長手方向の上下二段とし、下段は昼はロングシート、夜は背ずりを引き下げて寝台幅を拡張した〔RP 399 p.57(写真あり)。〕。山陽鉄道はさらに1903年(明治36年)には二等寝台車も開発している〔長船、p.174(寝台使用法の解説図あり)。〕〔「三等寝台車製造の計画」1902年2月6日大阪朝日新聞『新聞集成明治編年史. 第十一卷』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。
以後、官営鉄道「官線に寝台車」1900年6月9日読売新聞『新聞集成明治編年史. 第十一卷』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕 や日本鉄道が追随し、鉄道国有化後には長距離列車に欠かせない存在となった。地方の長距離普通列車にさえも、車体の半分が二等寝台となった合造車が連結されていた時期がある。
戦前の三等級制時代には、一等寝台車(記号「イネ」)は室内に折畳み洗面台を備えた2人又は4人用区分寝室、二等寝台車(記号「ロネ」)は2段のツーリスト式開放寝台(舟形寝台)〔ツーリスト式とは、窓を背にしたソファー形式の座席(一種のロングシート)が、夜間はそのまま下段寝台として使われる構造である。なお、上段は折り畳み式の寝台を使用した。〕を標準とした。1934年(昭和9年)以降は、合理化のため東海道・山陽本線を除いては通常の営業列車で一等寝台車の連結はなくなった。一等寝台車が折畳み洗面台を備えた区分寝室であることは、当時の政府や軍の高官の旅行に際してプライベートな姿を他に見せない配慮の結果であった。したがって、一等寝台車の連結廃止後他の線区で高官の乗車が想定される区間用には二等ながら区分室を備えた寝台車が作製された〔岩成政和 2008。〕。
当時の優等寝台車は多車種少量製作で変形車が多く、二等寝台車ではあるが、例外的に4人用区分寝室コンパートメント)を備えた車両(マロネ37480形。後のマロネ38形)〔上述の通り、東北・北海道地方と行き来する高官への配慮によるが、二等であるため折畳み洗面台は省かれている。〕 や、定員2名の特別室〔後年に定員は3名とされた。また、特別室には専用の便洗面所が併設されていた。〕 を備えた一等寝台車等も存在した(マイネ37130形。後のマイネ38・マロネ49形)。マイネ37130形には、当時の鉄道大臣の発案で、改造のうえシャワー室を装備したものが1両存在し、特急「富士」に運用されたが、シャワー自体当時の日本人に馴染みがなく、同じスジに入るのが4日に一度と言う頻度であったことから利用も伸びず、短期間で消滅している〔7月15日開始10月1日停止『鉄道省年報. 昭和10年度』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。
走り装置には、種々の艤装によって増加した車両重量に対応するため、3軸ボギー式台車が用いられ、軸重の軽減を図った。
変わった存在としては、ダブルベッドを備えた寝台車が、明治末期から大正中期に存在した。1910年(明治43年)9月より、旧新橋 - 神戸間の急行列車に連結された二等寝台車「ロネ9140形」に、「二等寝台二人床」と呼ばれる寝台が設けられた。これは大人2人が寝ることができるダブルベッドを備えたもので、夫婦での利用を考慮したものとされる。1912年に運転開始した日本初の特別急行列車1・2列車(後の「富士」)に連結されたスロネ10055形のプルマン式寝台の下段も同様である〔RP 399 p.58。〕。この「二等寝台二人床」は、1918年(大正7年)11月に「二等寝台大型」と改称され、大人2人での利用は禁止された。その理由としては、当時、第一次世界大戦で巨額の富を得た成金が、芸者を連れて「不純な行為」をするなど、本来の目的からは離れた利用実態が、世間の猛烈な批判を招いたことにあるとされる。日本の寝台車においてダブルベッドが復活するのは、70年以上が経過したJR発足後のこととなる。
太平洋戦争の戦況悪化に伴って1944年(昭和19年)年4月に実施された決戦非常要領により、一等車および寝台車の連結が中止された。寝台車の多くは各地に疎開留置、あるいは三等座席車に改造されたが、二等寝台車の一部は高官・要人等の特殊公用客用として運用された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「A寝台」の詳細全文を読む




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