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一色尚次(いっしきなおつぐ、1922年11月1日 - 2013年6月22日)は日本の工学者、エンジニア。工学博士(東京大学)、東京工業大学名誉教授。勲三等旭日中綬章。 船舶技術研究所機関開発第2部長、東京工業大学教授、日本大学教授、日本機械学会会長等を歴任。熱力学や伝熱工学、タービンや原動機の分野で顕著な業績を上げ、多くの著書も手掛けた。濃度差エネルギーエンジンやスターリングエンジンの研究でも著名。 晩年はスターリングテクノラリー技術会会長やNPO日本スターリングエンジン普及協会名誉会長を長く務めた。逝去後には、スターリングエンジンの顕著な貢献を顕彰する「一色尚次賞」が設けられている。 == 来歴・人物 == 1922年11月、東京に生まれる。東京帝国大学第二工学部航空原動機学科に入学するが、在学中に陸軍航空技術研究所に動員され、過給機開発に従事した。乗鞍山頂の陸軍高空航空実験室で排気タービンの実験や東大航空研究所でのパルスジェットの研究に従事した。 終戦直後の1945年9月に東京帝国大学第二工学部航空原動機学科を卒業〔、1947年に運輸省運輸技術研究所入所し、その後は船舶技術研究所機関開発第2部長となる〔。この間、蒸気タービン時代の青函連絡船を見聞する。1954年には一色義子と結婚、姓が一色に変わる〔。フルブライト留学生として米国マサチューセッツ工科大学へ留学する。1960年、遊動パッキンの研究で東京大学より工学博士を学位を受ける。 1968年には東京工業大学教授に着任し、生産機械工学科において、応用熱学講座を率いる。熱伝達や熱応力、ノズル内熱伝導などの基礎研究とともに、濃度差エネルギーシステムの研究を推進。1970年代末期には世界初の有人塩水エンジンカーを実現し、テレビでも紹介された〔※学科創立30周年記念誌 創(TSU KU RU)」第一部「学科史」より抜粋。〕。また、1982年からは第60期の日本機械学会会長を務めた。1984年から1998年まで日本大学工学部機械工学科教授。青山学院大学や恵泉女学園大学などの非常勤講師も務めた。晩年もスターリングテクノラリー技術会会長やNPO日本スターリングエンジン普及協会名誉会長として、スターリングエンジン関係の仕事で活躍した〔。 2010年には著書「B29より高く飛べ」を出版。タービンや熱力学、スターリングエンジン等の研究に加え、戦中に関連していた軍事研究や戦死した同世代の若者たちとの交流、洞爺丸のボイラー室や1950年代のアメリカの原子力船「サバンナ号」を視察した経験等についても語っている。 2013年6月22日、肺炎で逝去。葬儀は6月22日午後1時〔から、日基教団経堂緑丘教会において妻の一色義子(恵泉女学園特別顧問・前理事長)を喪主として実施された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一色尚次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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