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松型駆逐艦(まつがたくちくかん)(書類上の分類は丁型駆逐艦)とは、太平洋戦争中日本海軍が昭和19年(1944年)より建造した戦時量産型駆逐艦である。神風型駆逐艦(初代)と並ぶ日本海軍最多の建造数(32隻)と最短の建造日数(約5ヶ月)を記録。そして最後に量産化された駆逐艦でもある。 なお、橘以降の艦は、橘型/改松型/改丁型として区別されるが、派生型として本稿にて取り扱う。 == 概要 == 日本海軍は、昭和17年(1942年)のガダルカナル島をめぐる戦いにおいて、輸送作戦(東京急行)への投入や夜戦で多数の艦隊決戦における水雷戦用の艦隊型駆逐艦を失った。しかし、当時最新鋭の「夕雲型」や、建造中の空母直衛の防空駆逐艦「秋月型」は建造に手間がかかり、この損失を埋めるだけの隻数を建造することが不可能だった。また、これらの駆逐艦は缶室(ボイラー室)と機械室のどちらかに浸水すると航行不能となるなどの防御上の欠点が実戦で明らかになった。そこで、補給・揚陸船団の護送のために兵装の重心を対空対潜に移し、防御上の改良を行ないつつ、構造を簡易化して生産を容易とした新たな駆逐艦を建造することとなった。これが松型である。 松型は、その全てが、本来二等駆逐艦(基準排水量1000トン以下)に付けられる樹木の名前が与えられ、その艦名と建造経緯から「雑木林」などと呼ばれた〔文藝春秋臨時増刊『目で見る太平洋戦争史』(昭和48年12月増刊号)174-175頁。中垣義幸海軍大尉談。中垣は「竹」から「雪風」航海長に転出し、坊の岬沖海戦に参加。〕。「竹」に勤務していた大尉(航海長)によれば、航海機器や兵装は艦隊型駆逐艦の「雪風」よりも新しく、充実していたという。 それまでの艦隊型駆逐艦に比較して、対艦兵装、最大速力とも抑えられているため、しばしば護衛駆逐艦又は護送駆逐艦と呼ばれるものの、松型駆逐艦は所謂護衛駆逐艦として計画・建造されたものではない〔福井、2009、P180。「松型は戦時急造艦とはいいながら、やはり艦隊駆逐艦だから魚雷発射管も備えていた。」〕。 若竹型駆逐艦以前、日本は限られた予算の中で充分な量の駆逐艦を揃えるため〔福井、2009、P49。〕〔堀、1977、P146。〕に、大型で高価な一等駆逐艦と小型で比較的安価な二等駆逐艦の二本立てのハイ・ロー・ミックスで整備していた。その後、戦略上のニーズ〔海軍水雷史刊行会、1979、P419。〕により、大型で航洋性に優れる一等駆逐艦のみが整備され、二等駆逐艦は建造されなくなる。松型は安価で艦隊型駆逐艦として使える最低限の性能をもった、本来の二等駆逐艦に近い性質の艦であるといえる。このためエンガノ岬沖海戦の艦隊決戦にも使用されたが、航続力不足により艦隊運動が制限された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松型駆逐艦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Matsu-class destroyer 」があります。 スポンサード リンク
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