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『七つ面』とは、歌舞伎十八番のひとつ。 ==解説== 元文5年(1740年)2月、江戸市村座上演の『姿観隅田川』(すがたみすみだがわ)に、二代目市川海老蔵(二代目市川團十郎)の赤右衛門で初演された。この『姿観隅田川』については台本が残っておらず詳細は不明であるが、『歌舞伎年表』によれば隅田川物に清玄桜姫物をない交ぜにした内容だったようである。その中で演じられた『七つ面』の内容は、『中古戯場説』と『歌舞妓十八番考』によればおよそ以下のようなものであった。 : 場所は吉田少将の館。そこに隅田川物ではお馴染みの吉田少将をはじめとする人々が居るところに、面打師の元興寺赤右衛門(実は粟津六郎)が現れる。その格好は頭に浅葱頭巾を被った上に侍烏帽子を被り素襖の姿(ただし素襖の上着を略して袴だけ)、手には桜の枝をかたげ、腰元たちに戯れかかるやりとりがあったという。 : 舞台の上手には面を収める箱が五つ並べてあり、吉田少将が側室の班女の前にその面箱の中の面を見せようと開けると、の面があった。次に少将が妻の桜姫にも見せようと違う箱を開けると、今度はの面。さらにその次には般若の面。さらにの面、最後は口をくわっと開けたの面であった。そして人々は皆一旦引っ込む。 : そのあと吉田家の家老久米平内左衛門が、吉田家の館に来ていた勅使の太宰の熊主とともに舞台に現れるが、この二人は悪人で、密かに盗み出した都鳥の一巻(吉田家の重宝)を懐より出して悪事の相談をする。そこへ奥より人の来る気配がするので、慌てて平内左衛門は持っていた都鳥の一巻を後ろ手にして隠そうとした。するとなんと、さきほどの武悪の面が一巻をくわえて奪い取ったのである。平内左衛門が驚いて後を振り返ると、面が一巻をくわえたまま箱の蓋はぴっしゃりと閉じてしまい、押しても引いても開かなかった。 だいたい以上のような内容を記しているが、実は上の五つの面とは作り物の面ではなく、海老蔵自身が演じていたものだったというのである。つまり、おそらくは面箱の裏側から穴を開け、そこから顔だけを出して表情を作り、鬘や眉を付けたり、般若なら頭に角を付けるなどして面に化けるという趣向で、面が都鳥の一巻をくわえたというのも、役者自身が面に扮していたからであった。この面の趣向について『中古戯場説』は、「実の面と見え、みなみな我を折たり」「凄い程よく似たりし」との評判だったと伝えているが、これは海老蔵が宝生流の能役者のもとを訪れたとき、そこに所蔵していた色々の能面を見せられて思いついたものだという〔。上の五つの面は、いずれも能狂言で使われるものである。 なお『中古戯場説』と『歌舞妓十八番考』は面箱の面が都鳥の一巻をくわえ、蓋が閉まるところでその後のことについては触れていない〔〔。しかしそこで幕になったとは当時の作劇上考えにくく、おそらくその後も芝居は続いたと見られるが、他に資料が無く確かなことは不明である。こののち二代目海老蔵は寛保2年(1742年)にも大坂で『七つ面』を演じており、この時は『星合栄景清』(ほしあいさかえかげきよ)という芝居の最後の幕に、悪七兵衛景清が源頼朝の命をねらうため、面打師に化けて頼朝の館に現れるという趣向であった。 天保3年(1832年)、『七つ面』は歌舞伎十八番に撰ばれはしたものの、当時すでに上演の絶えていたほかの十八番物と同様演じられることはなかったが、近代になると九代目市川團十郎が明治26年(1893年)の歌舞伎座で『新七つ面』を上演した。これは新歌舞伎十八番として福地桜痴の脚本により、豊臣秀吉の家来である曽呂利新左衛門が七つの面を使っての所作事を見せるものであった。この『新七つ面』はのちに七代目松本幸四郎も演じている。 その後昭和11年(1936年)の歌舞伎座で五代目市川三升が歌舞伎十八番の内として『七つ面』を上演し、この時は『中古戯場説』等を参考にして脚色された〔。昭和58年(1983年)には国立劇場で二代目尾上松緑によって上演されているが、これは『星合栄景清』に基づく脚色であった。『七つ面』はこのほかにも初代市川右團次や三代目市川猿之助などが手がけている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「七つ面」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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