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五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道(きないしちどう)とも呼ばれた。 1869年(明治2年)、北海道 (令制)が新設されてからは五畿八道と呼ばれる(道 (行政区画)#令制後)。 1871年(明治4年)の廃藩置県以降も、五畿八道は廃止されておらず、令制国も併用されていたが、1885年(明治18年)以降はすたれ、現在は、五畿八道としての地方区分はあまり用いられなくなっている。 しかし、現在の日本各地の地方名の多く(東海、東山、北陸、山陽、山陰、北海道など)は、五畿八道に由来している。また、東海道新幹線や山陽新幹線、北陸自動車道などの交通網や、今後想定される東海地震や南海地震、また地震発生帯の南海トラフなどの名称にもその名残が見られる。 == 概要 == 元々は、中国で用いられていた行政区分「道」に倣った物である。日本における「道」の成立については大化改新以前より存在したとする見方〔古い行政区分である「四道」があり、神話上の四道将軍はその由来について解説するために創作されたとされる他、国造制から令制国への移行過程で過渡的に用いられたとする見解などがある(前田晴人『日本古代の道と衢』(吉川弘文館、1996年) ISBN 4642022929)。〕もあるが、五畿七道の原型は天武天皇の時代に成立したと言われている。当初は全国を、都(難波宮、平城宮、平安宮)周辺を畿内五国、それ以外の地域をそれぞれ七道に区分した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五畿七道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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