|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 万 : [よろず] 1. (adv,num) 10,000 2. ten thousand 3. myriads 4. all 5. everything ・ 万寿 : [まんじゅ, ばんじゅ] (n) longevity ・ 寿 : [ことぶき] 【名詞】 1. congratulations! 2. long life! ・ 地 : [ち] 1. (n,n-suf) earth ・ 地震 : [じしん] 【名詞】 1. earthquake
万寿地震(まんじゅじしん)は、平安時代に山陰地方石見国で発生したと伝わる地震、大津波である。万寿の大津波(まんじゅのおおつなみ)とも呼ばれる。 従来の日本の地震史や津波史などにも記載されておらず〔震災予防調査会編 『大日本地震史料』 丸善、1904年〕〔武者金吉 『日本地震史料』 毎日新聞社、1951年〕、信憑性の低い史料や口碑による歴史地震とされてきたが〔宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年〕、史料の収集〔東京大学地震研究所 『新収 日本地震史料 一巻 自允恭天皇五年至文禄四年』 日本電気協会、1981年〕や水中考古学調査などが進行しつつある〔宇津徳治、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎 『地震の事典』 朝倉書店、2001年〕。 == 地震津波の記録 == 郷土史家矢富熊一郎の著書『柿本人麻呂と鴨山』によれば万寿3年5月23日亥の下刻(ユリウス暦1026年6月10日22-23時頃、グレゴリオ暦1026年6月16日)、高津沖の石見潟が一大鳴動と共に鴨島が水中に没し、大津波が襲来したという。『翁小助問答記』には遠田に柏島と呼ばれる名島があり、鴨島と共に四海波によって打ち崩されたとある。 この大津波によって、高津川河口付近が特に大きな打撃を被り河口から約16km離れた寺垣内まで津波が遡上し、高津、中ノ島、中須の諸海岸が甚大被害であった。専福・安福・福王・妙福・蔵福のいわゆる五福寺はこの津波に押し流され潰滅に帰したという〔〔矢富熊一郎 『柿本人麻呂と鴨山』 益田郷土史矢富会、1964年〕。津波被害は東は現・江津市黒松町付近から、西は現・萩市須佐付近に及ぶという〔 飯田汲事(1979): 歴史地震の研究(2) 万寿3年5月23日(1026年6月16日)の地震および津波の災害について、愛知工業大学研究報告. B, 専門関係論文集, 14, 199-206.〕。この津波の伝承は島根県大田市から益田市まで分布しており、「小鯛ヶ迫」、「舟超坂」、「鯨坂」など船や鯨などの打上げを示唆するような地名も存在する〔 児島秀行(2012): 津波研究会の概要、島根県技術士会〕。 『石見八重葎』には、江田(現・江津市)付近の伝説として「万寿三年丙寅五月二十三日、古今の大変に長田千軒、此江津今の古江と申す所なり。民家五百軒余、寺社共に打崩す云々。」とある。また現・益田市遠田においては大津波が砂丘を崩して遠田八幡宮の社殿を倒壊、押流し、下遠の郷を浚い、中遠田の山野、草原を洗って貝崎に迫り南進して上遠田、黒石、滑堤の堤防まで押し迫り、引潮の際、低地住民の資材はことごとく流失した〔。 伝承や津波碑の碑文よる津波到達点の標高から、各地の津波遡上高が推定されている〔 加藤芳郎(2012): 益田を襲った万寿3年の大津波、島根県技術士会、山陰防災フォーラム・2012年春の講演会〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「万寿地震」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|