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萬翠荘(ばんすいそう)は愛媛県松山市にある歴史的建造物。松山城の城山の南麓、国道11号から地方裁判所の横を北側に入った場所に位置するフランス風の西洋館である。市街地の喧騒から隔絶された観光スポット。重要文化財に指定されている。 == 概要 == 松山城山の南麓に建つ。1922年(大正11年)に、旧松山藩主の子孫久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が別邸として建てた、フランス・ルネッサンス風の洋館で、設計は後に愛媛県庁本館などを手がけた建築家木子七郎。建物を「萬翠荘」と命名したのは、定謨の子で次代当主となった久松定武である〔『月刊文化財』579号〕。建築面積428.78平方メートル、地下1階、地上2階建て〔萬翠荘のサイトには「3階建て」とあるが、同サイトで3階としているのは屋根裏である。ここでは重要文化財指定時の文化庁の説明や官報告示記載内容に基づき「2階建」とする。〕。松山で最も古い鉄筋コンクリート造建築である。屋根は寄棟造、スレートおよび銅板葺き。屋根中央にはマンサード屋根、東南隅には尖塔を設けて外観に変化をもたせる。平面は正面車寄を入って中央が階段のある広間、東側は表がサロン(謁見の間)、裏手が食堂(晩餐の間)となり、西側には執事室、配膳室など内向きの部屋を配する。2階は居間、寝室などの居住スペースとする(現在は第1〜第7展示室)〔屋根と平面の説明は『月刊文化財』579号による。〕。玄関の床は大理石、玄関ホールの柱は岡山産の万成石(通称紅桜)、正面階段の手すりは継ぎ目の無い南洋チーク材の一本木、各部屋には色の異なる大理石で造られたマントルピース(暖炉)、水晶のシャンデリア、縦4,442ミリメートル×横3,106ミリメートルのステンドグラス等、非常に質の高い造りとなっている。踊り場の大窓に広がる海の風景は、グラデーションを使用した繊細な色彩のステンドグラスで、これまでハワイ製と言われていたが、2010年の愛媛県の調査(奈良文化財研究所に委託)により木内真太郎の制作と判明した。完成直後の11月22日から24日まで、皇太子摂政宮(昭和天皇)が滞在した。その後も皇族などの滞在場所として度々使用されている。また、当時は社交の場として各界の名士が集まったという。 太平洋戦争終結後、米軍に接収される。接収解除後、1947年(昭和22年)から松山商工会議所として使用される。1952年(昭和27年)から松山家庭裁判所として裁判官室、事務局等が入居。1954年(昭和29年)より愛媛県の管理となり、同年8月に愛媛県立郷土芸術館として開館した。1979年(昭和54年)に愛媛県立美術館分館と名称変更。1985年(昭和60年)に愛媛県指定文化財に指定された。2008年に改修工事が行われ、2009年4月から指定管理者制度の導入により、愚陀仏庵とともに株式会社ウインに運営を委ねている(2014年(平成26年)3月31日まで)。イベント・展示会場として利用されている。 2011年11月29日に本館と管理人舎の2棟が国の重要文化財に指定された。〔萬翠荘ホームページ・ニュース&トピックス 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「萬翠荘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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