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万 耀煌(ばん ようこう、、1891年3月13日(清光緒17年2月初4日) - 1977年(民国66年)1月31日)は、中華民国(台湾)の軍人。湖北軍(鄂軍)出身で、後に国民革命軍に属して北伐や反蒋介石派討伐等で活躍した。日中戦争期には軍事教育分野で活動している。旧名は奇。字は武樵。晩号は硯山老人。 == 事跡 == === 清末民初の活動 === 清末に両湖師範附属高等小学を卒業後、陸軍第21混成協第41標所属の軍人となる。続いて湖北陸軍特別小学、武昌陸軍第三中学と進学し、何応欽・谷正倫らと同期になった。1911年(宣統3年)10月、武昌起義(辛亥革命)が勃発すると、万は革命派として上海に向かい、滬軍都督府督練処処長に任ぜられる。まもなく湖北に戻り、湖北軍政府作戦参謀兼戦時総司令部督戦参謀として、漢陽防衛戦に参加した。 中華民国成立前後に居正の紹介で中国同盟会に加入し、後に国民党に加入し、1912年(民国元年)秋に保定陸軍軍官学校歩兵科第1期に入学し、1914年(民国3年)11月に卒業した。その後、陸軍大学正則班第5期に進学し、1919年(民国8年)12月に卒業している。湖北省に戻った後の1921年(民国10年)春、蒋作賓・李書城らの「湖北自治運動」に参加し、湖北督軍王占元追放に尽力した。その後、万耀煌は第21混成旅旅長夏斗寅配下となり、同旅参謀長に任ぜられて湖南省瀏陽県に駐屯している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「万耀煌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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