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三上於菟吉 : ミニ英和和英辞書
三上於菟吉[みかみ おときち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [お]
 【名詞】 1. at 2. in 3. on 

三上於菟吉 : ウィキペディア日本語版
三上於菟吉[みかみ おときち]
三上 於菟吉(みかみ おときち、1891年2月4日 - 1944年2月7日)は、大正昭和時代の小説家大衆文学の流行作家となり、文壇の寵児と呼ばれた。代表作に『雪之丞変化』など。妻は作家の長谷川時雨。活躍期にはその作風から「日本のバルザック」とも呼ばれた。
==経歴==

===生い立ち===
埼玉県中葛飾郡桜井村生まれ(現在の春日部市)。代々儒医(漢方医)家業で、祖父はまた漢詩人大沼枕山門下の詩人でもあった。旧制粕壁中学校(現在の埼玉県立春日部高等学校)を経て田山花袋に私淑。父純太郎も於菟吉を医師に進ませようとしたが、中学校時代から文学少年となり白夜のペンネームで『文章世界』『中学世界』などに投稿していた。
早稲田大学英文科予科に入学し、広津和郎谷崎精二らと交友を持ち、ロシア文学で片上伸に認められて「片門十哲」の一人とも言われた。同級の宇野浩二らと同人誌『しれねえ』を創刊するが、三上の「薤路歌」が風俗壊乱として発禁になり、1号で終刊する。また神楽坂の馴染んだ芸者を連れ出したことで脅される騒ぎとなり、父により退学させられて帰郷、実家で謹慎生活を強いられる。この間、ダヌンチオスタンダールの詩の翻訳や、短篇小説を『早稲田文学』に発表した。
父が死去して家業を継いだが、これを整理して1914年に上京し、翌1915年に長篇小説『春光の下にー又はゼ・ボヘミアン・ハウスの人々』を自費出版した。この作品は朝鮮独立運動に触れたところがあったために発禁処分となったが、この出版を機に『講談雑誌』編集長だった生田蝶介に目をつけられ、水上藻花などのペンネームで外国小説の翻案を博文館や講談社で発表するようになり、谷崎精二と『モンテ・クリスト伯』を共訳する。
1916年には『講談雑誌』に本名で「悪魔の恋」を連載し、薄幸の女性を描く通俗小説の筋に西洋小説的な心理描写を織り交ぜて好評となった。また『春光の下に』を献呈された12歳年長の女流作家長谷川時雨が三上に手紙を書いて知り合い、やがて同棲するようになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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