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三上 輝房(みかみ てるふさ)は戦国時代頃の人物で因幡国巨濃郡岩井庄の三上氏の当主。 == 経歴 == 元は伯耆山名氏の一族・日野山名家〔伯耆山名氏の傍系で伯耆国日野郡に所領を持っていた一族。山名師義の子・義幸が始祖で「日野屋形」と呼ばれ、代々「摂津守」の受領を継承していた。〕の山名摂津守の息子でありこ不二郎と名乗っていたが天文10年(1541年)6月29日に三上経実が道竹城合戦で戦死したため、生前に経実と親交のあった大舘尚氏らの支援により養子として経実の跡を相続〔輝房が相続したのは「常興日記」によれば天文11年(1542年)の4月以前のことである。同年4月13日には相続した輝房の初出仕があり、その後相続仲介のお礼として尚氏に太刀を献上している。〕した。 永禄6年(1563年)5月の「光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚」には幕府奉公衆、五番衆としても見え、三上氏の伝統である兵庫頭を名乗り、これも伝統である五番衆として登場している。また、9年後の元亀3年(1572年)3月22日にも幕府衆の一員として確認されている。(『兼見卿記』) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三上輝房」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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