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三井 弥一郎(みつい やいちろう)は、戦国時代の武将。通称は弥一郎のほかに十右衛門(じゅうえもん)など。諱は吉盛(よしもり)または昌(正)武(まさたけ)。 == 生涯 == 三井家は曽祖父の時代から甲斐武田氏に仕えた家臣で、弥一郎の父の時代には武田信玄の重臣山県昌景の同心として赤備えの一員を務めていたといわれる。元亀2年(1571年)に父が戦死したことにより、家督を継いで昌景に仕えることとなった。 天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで昌景は戦死しているが、弥一郎(当時17歳)はこの合戦に参加していないとされている。昌景の死後は武田家の家臣となり、天正10年(1582年)3月の織田信長による甲州征伐で武田家が滅亡すると、甲斐にしばらく雌伏していた。6月に本能寺の変が起こって信長が死去すると、初鹿野昌次ら武田家の遺臣をかき集めて一揆を起こし、信長から甲斐を任されていた甲府の河尻秀隆を殺害した。7月に徳川家康が甲斐に侵攻して来ると、家康に降ってその家臣となり、井伊直政の同心として付された。 天正12年(1584年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)と徳川家康による小牧・長久手の戦いが起こると、弥一郎は家康に従って従軍する。4月9日、長久手において池田恒興や森長可ら羽柴の別動隊と戦い戦死した。享年26。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三井弥一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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