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三井財閥(みついざいばつ)は、三井越後屋(三越・三井銀行)を源流に始まった。日本三大財閥の一つ。 == 江戸期 == 三井家の歴史は、太政大臣・藤原道長に発し、その後藤原右馬之助信生が近江に移って武士となり、初めて三井の姓を名乗ったという〔東京大学出版『三井越後屋奉公人の研究』参照〕。 早川隆によると「三井財閥の先祖は伊勢商人で慶長年間、武士を廃業した三井高俊が伊勢松阪に質屋兼酒屋を開いたのが起源という。三井家はもともと近江の国佐々木氏の家来で、先祖は藤原道長といっているが、道長とのつながりは後から系図を作ったのかもしれない。」という〔早川隆『日本の上流社会と閨閥』p52〕。 三井高俊は質屋を主業に酒、味噌の類を商った。店は「越後殿の酒屋」と呼ばれ、これがのちの「越後屋」の起こりとなる。高俊の四男・三井高利は伊勢から江戸に出て1673年(延宝元年)越後屋三井呉服店(三越)を創業。京都の室町通蛸薬師に京呉服店(仕入れ部)を創業。その後京都や大阪でも両替店を開業し、呉服は訪問販売で一反単位で販売し、代金は売り掛け(ツケ払い)、という当時の商法をくつがえす、「店前売り」と「現金安売掛け値なし」(定価販売)などで庶民の心をとらえ繁盛。その後、幕府の公金為替にも手を広げ両替商としても成功し、幕府御用商人となり、屈指の豪商となった。 三井は幕府御用を全面的に歓迎した訳では無かったが、幕府との関係は初期の経営に重要な役割を果たし、公金為替による幕藩体制との密着度は深くなっていた。明治維新後、三井家は薩長主導の明治政府の資金要請に応え、政商の基盤を確固たるものにした。幕末・維新期を通して、日本政府は三井との関係無しでは存立がいかない状況となっていた〔財団法人三井文庫『三井事業史』p1-〕。 戦国期から近世初期にかけて活躍した大商人は外国貿易に従事した者、台頭しつつある新勢力で大名と結んで戦時用物資の調達にあたった者などであった。貿易商人としては、角倉了以、茶屋四郎次郎、末吉孫左衛門、島井宗室、末次平蔵他であった。貿易商人は鉄砲の輸入などで大名と結びつく機会があった、これらが初期豪商であった。このような政商的性格の強い初期豪商に対し、特定の専門商品を売買して城下町や江戸で商業活動を行う者が現れた。これらが近江商人・京都商人・伊勢商人などで、三井や鴻池・住友などの近世本町人であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三井財閥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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