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三信ビルディング(さんしんビルディング)は、東京都千代田区有楽町に存在したオフィスビル。 もともとは三井信託が施主として1929年に建設、1955年に増築されている。設計は松井貴太郎(横河工務所)、施工は大林組。 == 概要 == 鉄骨鉄筋コンクリート造の地下2階、地上8階で、地下1階~1階は商店街、2階から8階は事務所となっていた。1階~2階は吹き抜けとなっており、この吹き抜けのアーチの天井には、もともと黄道十二宮の星座が描かれていた。古典様式ではあるが、同時代の建築物の中では比較的地味な外観を持つ。藤森照信は、スパニッシュ風のアールデコ様式であると評している〔『東京人』No.152、54頁、2000年〕。 関東大震災の教訓を踏まえた耐震建築であり、30度傾けても倒壊しないような余裕をもった設計がされていたという。また基礎も強固であり、後年ビル周辺で地盤沈下が進行すると相対的にビルが浮き上がり、道路からは階段を上ってビルに出入するようになった。 1945年9月から1950年6月まで、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により米軍第71通信隊・下士官兵宿舎として接収された。また、接収解除の翌年には屋上にゴルフ練習場がオープンしていた。 当時のままの姿で残る数少ない威厳あるオフィスビルとして親しまれてきたが、2003年9月に発生した天井材の落下事故〔このとき落下したのは建設時のものではなく、戦後になって付け足した部材だったという〕をきっかけに、2005年1月、所有会社の三井不動産が老朽化とを理由として解体を発表〔「三信ビルディング」解体のお知らせ 三井不動産株式会社、平成17年1月21日付、2011年6月13日閲覧。〕した。これに対して日本建築家協会が同月〔三信ビルディング保存に関する要望書 平成17年1月31日付、2011年6月13日閲覧。〕に、日本建築学会が同年3月〔三信ビルディングの保存に関する要望書 2005年3月16日付、2011年6月13日閲覧。〕に保存要望書を同社に提出し、市民による保存運動も署名を集めるなどの活動を行ったが、2007年5月から本格的な躯体の解体工事が開始された。三信ビルは、建物自体の価値に加え、日比谷・有楽町の地域の景観における価値も大きく、保存運動においても、その2点の価値を訴えていた。 2007年3月30日をもって、最後のテナントとなった「ニューワールドサービス」が閉店、全入居者が撤退し、直ちに館内は全面立ち入り禁止となった〔それ以前からテナントの退去の進展に伴い、3階以上、2階、1階西、地下、1階エレベータホールの順で段階的に閉鎖されており、全館閉鎖前の時点では1階東のみ立ち入り可だった。〕。4月1日付で「三信ビル解体工事のお知らせ」が防護壁に掲出された。石綿調査は既に昨年の8月3日までに行われていた。2007年5月1日より本格的な解体作業が行われ、石綿の除去を伴う作業7月31日までに施工、2007年10月末には地上部分の解体はほぼ終了、三信ビルは姿を消した。その後基礎部分の解体、地下鉄出入口の再整備などを行う。地下鉄出入口の閉鎖は2007年末までと発表されていたが、実際には2008年5月に再開した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三信ビルディング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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