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三光丸本店 : ミニ英和和英辞書
三光丸本店[さんこうがん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 
丸本 : [まるぼん]
 【名詞】 1. reciter's book 2. complete set of books
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
本店 : [ほんてん]
 【名詞】 1. head office 
: [みせ]
  1. (n,n-suf) store 2. shop 3. establishment 

三光丸本店 ( リダイレクト:三光丸 ) : ウィキペディア日本語版
三光丸[さんこうがん]

株式会社三光丸(さんこうがん、Sankogan Co., Ltd.)は、奈良県御所市今住にある、配置薬三光丸を製造・販売している日本製薬会社。社名の由来は、同社が製造する和漢の胃腸薬「三光丸(さんこうがん)」に因む。
== 三光丸と米田氏 ==
三光丸の創製は鎌倉時代末にさかのぼるとされ、当主の米田(こめだ)家には「『三光丸』の名を後醍醐天皇より賜った」という伝承がある。米田家は、鎌倉時代中期から戦国時代末にかけて南大和(現在の御所市橿原市高市郡)に勢力を伸ばした豪族越智氏大和越智氏)の庶流であり、天正年間に越智氏が滅亡すると、他の有力な家臣団と同様、故地にとどまって帰農した。
同家はまた、農業のかたわら、三光丸をはじめとする家伝薬の製造を副業とした。このことは、越智氏隆盛の頃より米田氏が医薬を担当していたという伝承を裏付けている。
江戸時代に入り、越中国富山と前後して大和国でも配置売薬(いわゆる置き薬)が始められたが、江戸後期に入ると、三光丸の米田家は南大和の同業者を束ね、大和売薬発展の一翼を担った(参考:)。この頃、大和売薬は富山売薬に次ぐ勢力に成長し商圏を各地に広げていたが、幕末期に至り、各地で富山と大和の業者が競合し、値引き・中傷合戦を呈しはじめた。
慶応2年(1866年)、これを憂慮した三光丸の当主米田丈助(じょうすけ)は、越中国富山の総代3名、加賀領総代2名を招き、大和の売薬業者72名を集めて話し合い、業務協定を結んだ。その内容は『仲間取締議定書連印帳(なかまとりしまりぎじょうしょれんいんちょう)』に記され、それぞれの代表が一部ずつ保管した(大和の『連印帳』は三光丸クスリ資料館にて展示公開中)。
配置家庭薬配置薬)をはじめとする医薬品の製造・販売は、現在も奈良県の主要な地場産業のひとつであり、医薬品の配置販売業富山県に次いで盛んである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三光丸」の詳細全文を読む




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