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三原 綱木(みはら つなき、1945年11月3日 - )は、日本のギタリスト、バンドマスター、ジャッキー吉川とブルー・コメッツのメンバー(ギター担当)。妻はケイ・アンナ。兄はザ・ベストテンの美術を担当した三原康博。現在の所属はジャッキー吉川とブルー・コメッツとしてはオフィス・アタック、ニューブリードとしてはタバタ音楽事務所である。 == 略歴 == 新潟県東蒲原郡綱木村(三原誕生時は合併により三川村。現:阿賀町)出身。私立高千穂高校(東京都杉並区。現在は廃校)中退。旧綱木村で生まれたことから、その名前がつけられた。小学校3年の時、レコード店で米兵がギターを弾いているのを見てギターを買ってもらう。小学校4年生の時から三鷹にあったギター教室でクラシック・ギターを習い、高校1年生の時からジャズギターを勉強し、クラブのジャズバンドに参加する。その後、渡辺プロダクション系列大橋プロダクション所属の「ファイヤーボール」で約2年間の活動を経て、1964年に田村亘の後任としてブルー・コメッツに入った。 「銀色の波」(「北国の二人」のB面)、「マイ・サマー・ガール」(草原の輝きのB面)などのカップリング曲や、「雨の赤坂」「津軽の海」「希望にみちた二人のために」といった、主にブルー・コメッツの中期から後期に掛けての作品など幅広く作曲を担当し、ブルー・コメッツの全盛期を築いた。また、「北国の二人」ではメインボーカルを担当している。 ブルー・コメッツ脱退後は「パイナップル・プリンセス」など洋楽のカバーで知られる歌手の田代みどりと結婚し、「つなき&みどり」として1972年に「愛の挽歌」で再デビューしたが、田代との離婚によりこのデュオは解散。 1976年から8年間は、郷ひろみバンドのリーダーをつとめた。1986年から小田啓義の後を継いで、バンド「ニューブリード」のバンドマスターに就任。以後、「小田啓義とニューブリード」は、「三原綱木とザ・ニューブリード」に名称変更。但し、正式にバンドマスターに就任する前年の1985年よりフジテレビ系の「夜のヒットスタジオ」ではダン池田の後任として同番組限定という形でニューブリードのバンドマスターを務めていた。 「NHK歌謡コンサート」、「NHK紅白歌合戦」などのステージで指揮や編曲を担当しており、時には曲調をクラシック風にしてエンディング部分を壮大に盛り上げるなどの大胆なアレンジを見せる。一方、近年はブルー・コメッツを再結成させ、数々の番組に出演している。ものまね王座決定戦でバンドマスターを勤めた際には、指揮棒を振りながらもカメラがパンするとカメラ目線で笑うなど画面を意識したリアクションを行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三原綱木」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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