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三垣龍次 : ミニ英和和英辞書
三垣龍次[みがき りゅうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [かき]
 【名詞】fence
: [りゅう]
  1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

三垣龍次 : ウィキペディア日本語版
三垣龍次[みがき りゅうじ]

三垣 龍次(みがき りゅうじ、1981年9月12日 - )は、日本プロボクサー。第54代日本ライト級王者。第43代OPBF東洋太平洋ライト級王者。岡山県岡山市出身。M.Tボクシングジム所属。関西高等学校駒澤大学経済学部卒業。
== 来歴 ==
中学生の時にボクシングを始める。1998年に行われたかながわ・ゆめ国体では少年の部ライトウェルター級で優勝し、高校、大学時代はトップアマとして活躍した。
2004年6月28日、横浜アリーナで行われた世界戦のアンダーでプロデビュー戦としてスーパーライト級6回戦を行い、2RKO負けを喫した。2005年12月22日、主戦場となるライト級へ移り、A級ボクサー4回戦賞金獲得試合で元吉真三に2RTKO勝利を収めた。2006年には右拳の手術のため8か月のブランクをつくったが、12月9日に行われた萩森良平との6回戦で最終回にTKO勝利を収め、翌2007年2月には日本ライト級9位にランクインした。同年10月8日、再び右拳の手術のため8か月ぶりとなったリングでは加藤善孝との8回戦に3-0の判定勝利を収めた。2008年3月5日、日本4位として7位熊野和義とのランカー対決8回戦に3-0の判定勝利を収めた。同年6月21日、日本2位・OPBF8位としてインドネシア7位ロッキー・アラップアラップに3RTKO勝利を収め、7月には日本1位となった。同年12月17日、日本2位・OPBF6位として鈴木拓也に3-0の判定勝利を収めた。
2009年4月4日、第30回チャンピオンカーニバル石井一太郎の持つ日本ライト級王座に挑戦。8Rに右ストレートでダウンを奪い、9Rには石井にタオルが投げ込まれ、TKO勝利により新王者となった〔三垣が強打者対決制し新王者 日刊スポーツ 2009年4月5日閲覧〕。三垣はこの試合に対し、4月23日選考の同チャンピオンカーニバル技能賞および東日本ボクシング協会の平成21年4月度月間敢闘賞を受けたが、同年8月1日に行われた初防衛戦で近藤明広と対戦し、初回45秒TKO負けで王座を失った。
2010年1月16日、長嶋建吾の持つOPBF東洋太平洋ライト級王座に挑戦。4Rに続いて10Rにもダウンを奪い、タオル投入による10RTKO勝利で再起を果たすとともに同王座を獲得した〔三垣10回TKOで新王者 日刊スポーツ 2010年1月16日閲覧〕。この試合に対しては、東日本ボクシング協会の平成22年1月度月間最優秀選手賞を受けた〔三垣が月間MVP ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月4日閲覧〕。同年5月17日にはさいたまスーパーアリーナで同級2位・趙喜在(韓国)と防衛戦を行う予定であったが、趙が肺炎により直前に棄権したため〔明日ゴング! 内山、グラナドス計量パス-三垣の東洋戦は趙の肺炎で中止 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年5月16日閲覧〕、この日は小口雅之と2Rの公開スパーリングを披露した〔かつらボクサー小口がスパー披露 スポーツ報知 2010年5月18日閲覧〕。
2010年9月20日、OPBF王座防衛戦で金井アキノリと対戦。2回にダウンを奪われるも、3回にダウンを奪い返した上で、6回TKO勝ちで王座初防衛に成功した〔福原KO敗 三垣は逆転TKO防衛 ダブル東洋太平洋戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年9月20日〕。
2010年12月13日、OPBF王座2度目の防衛戦で無敗の挑戦者高瀬司と対戦。初回からダウンを奪いそれ以降も優勢に試合を進め、8回TKO勝ちでV2に成功した。〔 日刊スポーツ 格闘技2010年12月13日〕。
2011年7月2日、OPBF王座3度目の防衛戦は3位川瀬昭二と対戦。血まみれの激闘となったが10回に豪打でレフリーストップに追い込みTKO勝ちで3度目の王座防衛に成功した。〔 スポーツ報知大阪版2011年7月3日〕。
2012年2月28日、三垣本人が怪我のため3度防衛後OPBF王座を返上。このタイトルを奪還するために世界3位で現OPBF王者の荒川仁人に挑戦した。ともに世界ランカー同士の白熱した好試合となったが0-3の判定負けで王座返り咲きに失敗した。〔 日刊スポーツ 2012年2月28日〕。
2012年10月27日、東京国際フォーラムで元日本スーパーフェザー級王者の三浦隆司とライト級10回戦を行い、1R1分37秒TKO負け〔 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年10月27日〕。この試合を最後に現役引退を発表した〔ラウンドアップ  ボクシングニュース「Box-on!」 2013年3月26日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三垣龍次」の詳細全文を読む




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