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三宅 康貞(みやけ やすさだ、天文13年(1544年) - 元和元年10月23日(1615年12月13日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。三河挙母藩初代藩主。田原藩三宅家初代。天正年間には駿河深沢城主を務めた。三宅政貞の長男で母は鳥居忠吉の娘。正室は小笠原佐渡守の娘。子に康信(長男)、康政(次男)、娘(内藤政長正室)。官位はなし。通称は惣右衛門。 永禄元年(1558年)から徳川家康に仕えた譜代の家臣で、姉川の戦いや長篠の戦いをはじめ、武田氏攻めには常に参戦して武功を挙げた。鳥居元忠の甥に当たることから、元忠と行動を共にすることが多かったと言われている。天正10年(1582年)の天正壬午の乱で甲斐を防衛、天正18年(1590年)に家康が関東に移されると、武蔵国内に5000石を与えられた。 慶長9年(1604年)、三河挙母に1万石を与えられ、挙母藩を立藩した。元和元年(1615年)10月23日、72歳で死去し、跡は長男の康信が継いだ。墓所は挙母の霊巌院。後に愛知県田原市へ改葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三宅康貞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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