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木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん、1897年(明治30年)4月19日 - 2013年(平成25年)6月12日)は、京都府京丹後市に在住していた長寿の男性である。2012年(平成24年)12月17日より死去するまで存命人物のうち世界最高齢であった。また、2012年(平成24年)12月28日に、クリスチャン・モーテンセンの115歳252日の記録を抜いて、死去した人物も含めた年齢の検証された歴代最高齢記録の男性となった。 == 人物 == 1897年3月19日、三宅家の6人兄弟姉妹の3番目に生まれ、金治郎と命名される。木村家に跡取りとして婿入りし、9代目・次郎右衛門を名乗るようになった。20歳から65歳までの45年間、郵便局にて勤め、1920年代には日本統治時代の朝鮮において政府の通信部門に勤めた経験も持つ〔。戦後、1955年に自治体合併に伴う個人データ統合の際に担当者が誤って誕生月を1か月遅く記入してしまい、以後公式な誕生日は4月19日になったとされている。誕生日が3月19日として認定されていた場合、生存日数は116歳85日となり、ディーナ・マンフレディーニは世界最高齢にはなれなかったことになる。クリスチャン・モーテンセンの記録も11月27日に抜いていたことになる。 晩年は孫の妻との2人暮らしで、毎日午前5時半に起床し、午後8時に就寝する生活を送っており、食生活も朝はヨーグルトやサツマイモ、梅干しを食し、夜は牛乳を飲むことを習慣としているという。好き嫌いはなく、食べる量も自分で決めている。足腰が弱っているため外出は通院に限られた。 2013年6月の時点で7人の子(5人が存命)、さらに孫が14人、ひ孫25人、玄孫が15人いた〔。 新聞は天眼鏡を使いながら1から2時間、長いときには3時間かけて読む(日本共産党の機関紙のしんぶん赤旗日曜版2009年(平成21年)7月12日号掲載のインタビュー記事によれば、愛読紙2紙のうち1紙は、しんぶん赤旗。また2009年(平成21年)9月18日放送の毎日放送「VOICE」では、朝日新聞が映っていた)。テレビ番組は国会中継や大相撲を欠かさず視聴するという。また、長寿の秘訣として「食べ物に好き嫌いはない。食細くして命永かれ」「苦にするな嵐のあとに日和あり」などの言葉をモットーにしている。 2009年(平成21年)9月には読売新聞のインタビューに応じ、その中で存命人物のうち日本最高齢の男性になったことについて「責任の重さみたいなのを痛感している。1日でも長く元気でありたい」と語っている。また、テレビの国会中継を見る理由については「時代についていけないようではいけない」と語った。 2012年(平成24年)9月17日の敬老の日、京丹後市長の中山泰が自宅を訪れ、地元の小学生が作成した贈り物を届けた。これに「サンキュー」と答えた。 2012年(平成24年)10月16日、ギネス・ワールド・レコーズの編集長クレイグ・グレンディが京丹後市の自宅を訪れ、ギネス世界記録の認定証を手渡した。 2013年(平成25年)4月19日、京丹後市長の中山が自宅を訪れ、安倍晋三首相のお祝いのメッセージを吹き込んだDVDなどを手渡した〔。そのほか国内外から156通もの手紙やメールが手渡され、祝福の言葉に「はい」と応じた〔(2013年4月22日地点でのアーカイブ)〕。その後肺炎にかかり、5月11日より入院。6月12日に老衰のため死去した。存命中の長寿世界一は大川ミサヲとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木村次郎右衛門」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jiroemon Kimura 」があります。 スポンサード リンク
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