|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 三 : [み] 1. (num) three ・ 四 : [よん] 1. (num) four
三宮 四郎(さんのみや しろう、1897年9月14日 - 1973年11月8日)は、昭和期の実業家。東京急行電鉄専務取締役、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)代表取締役社長(初代)、財団法人五島美術館常務理事を歴任。 ==来歴・人物== 大分県生まれ。慶應義塾大学卒業後、目黒蒲田電鉄(現・東京急行電鉄)に入社。五島慶太社長の知遇を得て、1942年に東京急行電鉄取締役に就任。1946年同社専務取締役に昇任した。1948年同社から分離した京王帝都電鉄代表取締役社長(初代)に就任。京王線の戦後復興に尽力し、財務基盤がぜい弱な中、鉄道施設の大規模な改良、新型鉄道車両の投入等の積極投資をおこない、現在の京王線の基礎を作った。このほか路線バスの基盤強化や戦災のダメージが著しかった井の頭線の復興も果たした。また、事業の多角化も志向し、京王映画、京王観光等の関連会社を多数設立した。 しかし、1957年さらなる事業拡大策として大映専務の曾我正史、千土地興行社長の松尾國三らと共同で映画製作会社「日映」の設立に動くものの、京王の本業以外のへの過剰投資を憂慮した五島の反対により日映設立を断念。このとき三宮は失踪事件を引き起こし、京王社長を事実上更迭された。五島没後の1959年には五島美術館常務理事に就任した。 1973年11月8日死去。享年76。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三宮四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|