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三屯牽引車 : ミニ英和和英辞書
三屯牽引車[さんとんけんいんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [とん]
 【名詞】 1. ton 
牽引 : [けんいん]
  1. (n,vs) hauling 2. tow 3. pull 4. drag
牽引車 : [けんいんしゃ]
 (n) tractor
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

三屯牽引車 : ウィキペディア日本語版
三屯牽引車[さんとんけんいんしゃ]

三屯牽引車(さんとんけんいんしゃ)は大日本帝国陸軍が初めて自国生産し配備した砲兵トラクターである。五〇馬力牽引自動車とも呼ばれた。
== 概要 ==
用途は十糎加農砲の牽引である。大正15年(1926年)から昭和6年(1931年)にかけ、合計で35輌が製作された。製造担当は大阪工廠である。自国生産する重車両としては初であり、国産戦車の基礎ともなった。
開発は大正9年(1920年)4月からであり、担当部署は陸軍技術本部である。エンジン設計は大正10年(1921年)11月29日に完成し、大正11年(1922年)1月に全体の設計図が完成したため、大阪工廠で2両が試作に入った。試作車は大正12年(1923年)10月に完成、同月中に試験を実施し、おおむね設計した通りの性能を発揮した。欠点としては履帯の耐久性の不足、横軸装置、測方連動機の修正の必要などである。大正13年(1924年)3月の試験ではエンジン、座席、冷却ファンが改修された。大正14年(1925年)2月に実用試験が行われた。これは東京、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬など関東の府県で1週間に渡って行われ、結果、修正を施したうえで実用に用いられることが認められた。大正14年5月に修正着手、10月に修正図が完成し造兵廠で修正が行われた。大正15年(1926年)3月の大阪における試験で良好な成績を示した。最終的な実用判断は陸軍野戦砲兵学校に委託され、昭和2年(1927年)10月から昭和3年(1928年)3月31日まで実用試験が行われた。
本車は機能的にホルト・トラクターを凌駕しており、より高速で、停車せずとも変速が可能であった。しかし故障が多く、量産配備を見送り、次期牽引車の新規開発へと移行した。20から30kmの行軍をこなして無事に帰還できるものは中隊4輌のうち2輌程度であり、部隊の中にはホルト五屯牽引車の方が信頼できるという意見があった。故障の例としては、昭和6年(1931年)に市川から東金まで行われた、野戦重砲兵第七連隊の行軍戦闘の検閲において、各中隊のうち2輌から3輌が故障し脱落した。4輌ともそろって到着できたのは1個中隊のみで、講評で高い評価を受けた。こうした車輛に対する故障の疑念から、馬による挽曳か、または機械化のどちらが優れているかという論争が生じた。ただし当時のアジアにおいて、独力で砲兵トラクターを作り上げたのは日本だけであり、装軌式車輛としては初の車輛でもあったことは評価の際に注意するべき点である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三屯牽引車」の詳細全文を読む




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