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三岐鉄道クハ200形電車 : ミニ英和和英辞書
三岐鉄道クハ200形電車[さんぎてつどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

三岐鉄道クハ200形電車 ( リダイレクト:三岐鉄道モハ100形電車 ) : ウィキペディア日本語版
三岐鉄道モハ100形電車[さんぎてつどうもは100がたでんしゃ]

三岐鉄道モハ100形電車(さんぎてつどうモハ100がたでんしゃ)は、かつて三岐鉄道三岐線に在籍した、1956年昭和31年)12月〔「私鉄車両めぐり第2分冊 三岐鉄道」 (1962) p.71〕の三岐線における電車による旅客輸送開始に際して導入された三岐鉄道初の電車である〔「私鉄車両めぐり第2分冊 三岐鉄道」 (1962) pp.72 - 73〕。
本項では、モハ100形と同時期に導入されたモハ110形電車〔、および前記電動車2形式の制御車として導入されたクハ200形電車〔についても併せて記述する。
== 概要 ==
三岐鉄道三岐線(以下「三岐線」)は、1931年(昭和6年)12月〔の全線開業当時より、貨物輸送は蒸気機関車牽引列車によって〔、旅客輸送は内燃動車によって〔それぞれ運行された非電化路線であった〔。貨物輸送および旅客輸送の別によって二種類の動力を保持することは、運行経費や運用効率という観点からは望ましいことではなく〔『RM LIBRARY62 三岐鉄道の車輌たち -開業からの50年-』 (2004) pp.6 - 7〕、戦前より電化による動力近代化が検討課題とされたものの、資金面の都合から実現することはなかった〔。戦後に至り、蒸機牽引による貨物列車について先行して動力近代化を実施することとなり〔、他事業者の事例を勘案して内燃動力化と電化を比較検討した結果〔、電化による動力近代化が決定、1954年(昭和29年)3月に全線の電化工事が完成した〔。電化工事完成と同時に、貨物輸送については電気機関車牽引列車による輸送に切り替えられたものの〔、旅客輸送は従前通り内燃動車によって行われたが〔、1956年(昭和31年)より旅客輸送についても電車に切り替えられることとなり〔、同年11月にモハ100形100・102、モハ110形110、クハ200形200の計4両の電車が導入された〔『RM LIBRARY62 三岐鉄道の車輌たち -開業からの50年-』 (2004) pp.30 - 31〕。これらは新製発注した車両ではなく、いずれも日本国有鉄道(国鉄)より払い下げを受けた中古車両であった〔〔。
各形式とも現在の東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の前身となった5事業者のうちの1つである豊川鉄道が新製した車両群であり〔『RM LIBRARY62 三岐鉄道の車輌たち -開業からの50年-』 (2004) pp.31 - 32〕、豊川鉄道が保有する路線の国有化に伴って国鉄籍に編入された〔『私鉄買収国電』 (2002) p.90〕、いわゆる社形国電(私鉄買収国電)である〔。モハ100形100・101は1927年(昭和2年)1月〔に大阪鐵工所(現・日立造船)において附201・202として新製され〔、後に電動車化改造などを経てモハ80形81・82と改称・改番〔『私鉄買収国電』 (2002) p.94〕、国鉄籍編入後はモハ1620形1620・1621と改称・改番されたものである〔。モハ110形110は1929年(昭和4年)12月〔に日本車輌製造本店においてモハ30形33として新製〔『私鉄買収国電』 (2002) pp.92 - 93〕、国鉄籍編入後はモハ1610形1612と改称・改番されたものである〔。クハ200形200は1927年(昭和2年)1月〔に川崎造船所(現・川崎重工業車両カンパニー)において附22として新製され〔、後年の改番によってクハ60形61となり〔『私鉄買収国電』 (2002) p.95〕、国鉄籍編入後はクハ5600形5600と改称・改番されたものである〔。いずれも晩年は広島鉄道管理局管内において運用され〔〔〔、全車とも1956年(昭和31年)3月に廃車となったのち〔〔〔、東洋工機において各種改造を実施し導入された〔。
さらに1958年(昭和33年)1月〔には西武鉄道よりクハ1231形1234を譲り受け〔「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) p.73〕、クハ200形201として導入した〔。同車は西武鉄道の前身事業者である武蔵野鉄道が、1940年(昭和15年)4月〔に日本鉄道自動車工業(現・東洋工機)において新製したクハ5855形5857を前身とし〔、導入に際しては前述各形式と同様に東洋工機において各種改造を施工した〔。
上記各形式の導入に伴う旅客輸送の電車化直後は、乗務員の運転訓練および検修作業員の技術習熟が間に合わず〔、また電車そのものの絶対数が運用数に対して不足していたことから内燃動車と併用して運用された〔。後年の自社発注のカルダン駆動車各形式(モハ120形・モハ130形・クハ210形電車)導入によって三岐鉄道は旅客輸送の完全電車化を達成〔『RM LIBRARY62 三岐鉄道の車輌たち -開業からの50年-』 (2004) p.33〕〔「私鉄車両めぐり第2分冊 三岐鉄道」 (1962) p.73〕、モハ100形・モハ110形・クハ200形の各形式も引き続き三岐線における主力車両として運用され、モハ100形は1978年(昭和53年)まで〔『RM LIBRARY62 三岐鉄道の車輌たち -開業からの50年-』 (2004) p.32〕、モハ110形は1974年(昭和49年)まで〔、クハ200形は1977年(昭和52年)までそれぞれ在籍した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三岐鉄道モハ100形電車」の詳細全文を読む




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