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三嶋 名継(みしま の なつぐ、天平20年(748年) - 大同5年4月21日(810年5月27日))は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。姓は真人。舒明天皇の皇子・蚊屋皇子の後裔〔『新撰姓氏録』左京皇別〕。官位は正四位下・左京大夫。 == 経歴 == 延暦2年(783年)正六位上から従五位下に叙爵。延暦3年12月(785年1月)長岡宮造営の功労により、従五位上に陞叙。延暦4年(785年)内厩寮に任ぜられ、山背介を兼任、翌延暦5年(786年)には山背守兼官に昇格した。延暦9年(790年)正月一周忌御斎会司を務め、同年6月に美作守を兼ねる。 延暦15年12月(797年1月)左衛士督に任ぜられ(この時の位階は従四位下)、同月に大和国十市郡の荒田一町を下賜された。延暦16年(797年)には大和守に転じ、中務大輔を経て、延暦23年(804年)衛門督に任ぜられる。また、同年の桓武天皇の和泉・摂津両国への行幸の奉仕への功労として、従四位上から正四位下に昇叙された。延暦25年(806年)越前守。 大同5年(810年)4月21日卒去。享年63。没時の官位は左京大夫兼摂津守正四位下。〔『日本紀略』大同5年4月21日条〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三嶋名継」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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