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三州瓦(さんしゅうがわら)は、愛知県(旧・三河国)で生産されている粘土瓦。石州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つ。現在は西三河が生産の中心となっているが、20世紀半ばまでは東三河でも生産が盛んだった〔。 == 歴史 == 三河国では矢作川流域や渥美半島で窯跡が見られ、発掘調査によって奈良時代から平安時代には当地で壺や皿とともに瓦が焼かれていた事が判明している。鎌倉時代に入ると、伊良湖岬で焼かれた瓦が備前国万富で焼かれた瓦とともに、建久2年(1191年)に再建された東大寺の大仏殿など諸伽藍に使われた〔。 室町時代に入ると築城が活発になり、三河国内の城の瓦が生産された〔。江戸時代には、江戸で使う瓦を生産する者が西三河に現れ、衣浦湾から船で瓦が出荷されている〔。一方、東三河では吉田藩内に寛文4年(1664年)に新たな町が開発され、瓦町(または河原町)という名前通りに瓦の生産が行われるようになった〔。藩内では瓦師の株仲間が結成され、当時の鬼瓦が現・浜松市雄踏付近まで出荷されていた。 明治時代になると一般の民家にも瓦葺きの屋根が用いられるようになっていき、瓦の需要が急増した〔。なお、1874年の碧海郡高浜村における調査では、瓦製造者のほとんどが農家の副業として従事していたという〔。高浜市や碧南市を中心に、瓦業者の数は1909年には約350にも達している〔。いぶし瓦に加え、大正時代にはスペイン瓦をベースにしたS字型の瓦も生産されるようになり、昭和に入ると強度や耐寒性を改良した塩焼瓦も登場した〔。1947年には真空土練機が導入され、原料粘土の均質性が高まった。 1951年に初めてトンネル窯が導入されると生産性は大きく向上し、釉薬瓦も生産できるようになって1963年に生産量のピークを迎えた〔。当時は国道1号が瓦業者の窯の煙で前が見えにくくなるほどだったという〔。良質の三河粘土が産出され、東日本の需要地に近いというメリットもあって、全国の瓦に占める三州瓦のシェアは1965年の24.5%から1980年には34.4%、1995年には47.9%まで上昇している〔。2006年には、三州瓦が地域団体商標として認定されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三州瓦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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