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三易(さんえき)とは、古代中国における卦を用いた占いの書である連山(れんざん)・帰蔵(旧字体:歸藏、きぞう)・周易(しゅうえき)の総称。 == 歴史 == 三易に言及した文献としては、『周礼』春官に、大卜という官吏が三兆・三易・三夢の法を司り、三易とは連山・帰蔵・周易であるとするのがもっとも古い。卦に八卦があり、それを2つ組み合わせた六十四卦がある点ではすべて同じであるとする〔『周礼』春官「大卜(中略)掌三易之灋。一曰連山、二曰帰蔵、三曰周易。其経卦皆八、其別皆六十有四。」〕。なお兆は亀甲獣骨などにできるひび割れで占うものである。 桓譚『新論』によれば連山は8万字、帰蔵は4300字があったという〔『太平御覧』巻608「桓譚『新論』曰:易、一曰連山、二曰帰蔵、三曰周易。連山八万言、帰蔵四千三百言。」〕。 『漢書』芸文志は連山・帰蔵を載せていないが、後に『帰蔵』のみ出現した。西晋の荀勗による目録『中経新簿』に『帰蔵』が載っており〔『隋書』経籍志一・易「『帰蔵』漢初已亡。案晋『中経』有之。唯載卜筮、不似聖人之旨。」〕、このころ世に現れたようである。『隋書』『旧唐書』『新唐書』とも『帰蔵』を13巻とするが、宋には初経・本蓍・斉母の3篇しか残らなかった。その後、完全に滅んだ。 『周礼』にいう帰蔵と、晋以降実在した書物の帰蔵が同じものであるかどうかは不明である。唐の孔穎達は『春秋左氏伝』襄公9年の疏で、連山・帰蔵は早く滅んでおり、世に行われている帰蔵は偽書であるとした〔『春秋左氏伝』襄公九年「穆姜薨於東宮。始往而筮之、遇艮之八☶☶。」注「艮下艮上。『周礼』大卜掌三易。然則雑用連山・帰蔵・周易。二易皆以七・八為占、故言「遇艮之八」。」疏「周易以変為占、占九六之爻伝之、諸筮皆是占変爻也。其連山・帰蔵以不変為占、占七八之爻。二易並亡、不知実然以否。世有『帰蔵易』者偽妄之書、非殷易也。」〕。なお連山の方は『新唐書』に「『連山』十巻、司馬膺註」と見えるが、詳細は不明である。『隋書』によると劉炫が『連山易』を偽造したことがあるという〔『隋書』儒林伝・劉炫「時牛弘奏請購求天下遺逸之書。炫遂偽造書百余巻、題為『連山易』・『魯史記』等、録上送官、取賞而去。」〕。 清の馬国翰『玉函山房輯佚書』に、諸書が引用している『連山』『帰蔵』が集められている〔 (archive.org)〕。 1993年、湖北省の王家台秦墓から秦代の易に関する竹簡文書が出土したが、馬国翰のあつめた『帰蔵』と共通する部分が多かった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三易」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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