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三月事件(さんがつじけん)とは、1931年(昭和6年)年3月の決行を目標として日本陸軍の中堅幹部によって計画された、クーデター未遂事件である。 == 計画 == 1930年(昭和5年)に政治結社「桜会」を結成した橋本欣五郎中佐、長勇少佐、田中清少佐、重藤千秋大佐らは、宇垣一成陸相を首班とする軍事政権を樹立するための国家改造クーデターを画策した〔川田稔『昭和陸軍の軌跡』p32〕。これに杉山元陸軍次官、小磯國昭軍務局長、永田鉄山軍事課長、根本博新聞班長、二宮治重参謀次長、建川美次参謀本部第二部長、山脇正隆作戦課長、岡村寧次補任課長ら当時の陸軍上層部や社会民衆党の赤松克麿、亀井貫一郎、右翼の思想家大川周明や右翼活動家・清水行之助らも参画。計画は大川周明が立てた〔川田稔『昭和陸軍の軌跡』p33〕。資金の一部は軍の機密費から計画され(実際には出ていない)〔田中梓『いわゆる三月事件について』p6、http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3051044_po_16-11.pdf?contentNo=1〕、清水行之助や徳川義親も出資した〔戦後清水行之助から返還された50万円は社会党創立の資金になった(岡田益吉『軍閥と重臣』)〕〔大塚健洋『大川周明』p153〕。桜会の会合は毎月偕行社を利用していたが、やがて資金が豊富になると新橋桝田屋で美妓を侍らせておこなったので、のちの青年将校に”宴会派”と呼ばれた〔中野雅夫『橋本大佐の手記』p24、p90~p93〕。 1931年(昭和6年)1月初旬、二宮次長は橋本中佐に対して、宇垣大将の乗り出しにつき、建設すべき未来社会政綱政策は上級者が作成するので政権奪取の方法を立案するように指示した。しかし橋本自身は手記に自分が事件の首謀者であるように書いており、発端に関しては2説ある〔田中梓『いわゆる三月事件について』p5、http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3051044_po_16-11.pdf?contentNo=1〕。 1月13日、宇垣一成陸軍大臣は陸相官邸で、杉山次官、二宮次長、小磯軍務局長、建川部長、山脇作戦課長、永田軍事課長(但し当日は代理の鈴木貞一中佐)、橋本中佐、根本中佐と国内改造のための方法手段を協議した。1月か2月かはっきりしないが、計画を立てていた大川周明は宇垣一成に会い遠まわしに真意を聞くと宇垣は、「御国のために命を投げ出すのは軍人の本懐である」と答えたという〔田中梓『いわゆる三月事件について』p6、http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3051044_po_16-11.pdf?contentNo=1〕。3月7日にも大川は宇垣に書簡を送っている〔田中梓『いわゆる三月事件について』p6、http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3051044_po_16-11.pdf?contentNo=1〕。 2月7日重藤支那課長宅で、坂田中佐、根本中佐、田中清大尉の四名が行動計画案を協議した。計画では、3月下旬に大川、亀井らが1万人の大衆を動員して議会を包囲。また政友会、民政党の本部や首相官邸を爆撃する。混乱に乗じ、第1師団の軍隊を出動させて戒厳令を布き、議場に突入して浜口内閣の総辞職を要求。替わって宇垣一成陸相を首班とする軍事政権を樹立させるという運びであったが、直前の3月17日に撤回された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三月事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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