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== 概要 == 前の第2次田中角榮内閣第2次改造内閣が、田中金脈問題で総辞職した後、いわゆる椎名裁定で三木が自民党総裁となり組閣したのが三木内閣である。本州四国連絡橋推進のための地元議員が多く入閣し「橋内閣」と言われた。 三木内閣では、政治資金規正法の改正等を行ったため、自民党内の反発を招いた。さらに、1976年(昭和51年)2月にロッキード事件が発覚した際には、事件の徹底解明を約束した。事件の捜査が進み、7月27日に田中角栄が逮捕された。三木内閣は、事件の解明によって政界浄化を図ろうとしたため、人気取りと内閣延命のために検察を使って田中を逮捕したのではないかと疑われ、自民党内部で反主流(田中派、大平派、福田派、船田派、水田派、椎名派)による「三木おろし」といわれる激しい倒閣運動が起こった。 三木首相はこの倒閣運動に対し、衆議院解散を行って対抗しようとする。しかし、解散詔書署名に15人の閣僚が反対したため、閣僚の大量罷免までは躊躇し、解散を断念した。結局、内閣改造と党執行部の入れ替えが行われ、ひとまず両者の対立は鎮静化した。 三木内閣で実現された法律は、政治資金規正法、公職選挙法の改正のみで、独占禁止法改正案も衆議院で可決させたが、参議院で廃案となった。1975年7月29日の政府・自民党首脳会議で、独占禁止法改正案の再提出は見送られ、核拡散防止条約早期批准、総裁公選制の導入、障害設計計画なども実現できなかった〔 〕。 尚、三木内閣時代のトピックスとしては、 # 昭和天皇・香淳皇后のアメリカ合衆国御訪問(1975年) # 第1回主要国首脳会議(フランス:ランブイエ)への参加 # 公共企業体等労働組合協議会によるスト権スト強行 などが挙げられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三木内閣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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