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三殿台遺跡(さんとのだいいせき)は、神奈川県横浜市磯子区岡村にある、縄文時代から古墳時代にわたる大規模な集落遺跡である。 約250軒の竪穴式住居跡があり、その大部分が弥生時代のものである。 三殿台考古館として、復元住居、出土品などが保存・展示されている。 == 概要 == 標高約55mの小高い住宅街の一角にあり、広さ約10,000平方メートル。 この周辺の丘の斜面に貝塚が点在していたことから、明治30年代に「屏風ヶ浦岡村貝塚」として学会誌に紹介され〔藤田清「武蔵國久良木郡屏風ヶ浦岡村貝塚發見報告」『東京人類學會雑誌』第40巻第158号、1899年。〕、小規模な発掘調査が何度か行われた。 1961年(昭和36年)に、隣地の滝頭小学校岡村分校(現・岡村小学校)校地拡張予定地となって大規模な発掘調査が行われ、遺跡全体が発掘され、縄文・弥生・古墳の3時代に亘る集落跡が確認された。1966年(昭和41年)国の史跡に指定され、翌1967年、三殿台考古館が開館し遺跡とともに公開された。 住居跡は252軒が確認され、うち8軒が縄文時代、43軒が古墳時代、残余の大部分が弥生時代のものである。〔三殿台考古館サイトでは「170軒近く」を弥生時代のものとしているが、この数字は資料によって差がある。『図説 日本の史跡』1(同朋舎出版、1991)は「縄文時代8軒、弥生時代151軒、古墳時代43軒、不詳約50軒」とし、『国史大辞典』6巻(吉川弘文館)は「縄文時代8軒、弥生時代200軒、古墳時代43軒」とする。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三殿台遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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