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三河 小栗氏(みかわ おぐりし、別名:''又市系小栗氏'')は、酒井氏とともに松平氏の庶家に属する氏族。 松平一族が常陸小栗氏と婚姻し家を興したとされるが、小栗吉忠以前の系譜に謎が多い。子孫に幕臣・小栗忠順などを輩出した。なお、結城秀康に付属し、以後越前松平家の中核を担った小栗正高や、その子で越後騒動の中心人物となった小栗正矩などを輩出した大六系小栗氏は常陸小栗氏の末裔になる。 == 概要 == 『寛政譜』によると、上杉禅秀の乱・享徳の乱に起因する戦乱に敗走した常陸小栗氏が三河国へ土着し、その末裔の小栗正重( - 1494年?)の娘が松平氏一門・親長〔この松平親長を、松平郷松平家6代・隼人佐信吉( - 1542年戦没)の子で、7代・親長(家督:1543年 - 1564年没)若しくはその兄である伝十郎勝吉(1521年 - 1542年戦没)とする説、または安祥松平家(松平本宗家)4代・松平親忠(1431年 - 1501年)の長子・親長(岩津松平家祖・岩津太郎)に比定する説とがある。松平郷松平氏に比定した場合、年代的整合性は崩れる。〕と婚姻して、生まれた男子が忠吉( - 1538年頃)である。 親長と忠吉の母親は折り合いが悪く離別し、母親は忠吉と共に父の小栗正重〔兄の説あり〕の元へ寓居した。正重は忠吉を養子とし、小栗姓を名乗らせて三河小栗氏が発祥し、母系の出自である小栗氏の庶流として発展した。 小栗忠吉は松平遠江某の娘と婚姻して小栗吉忠(又市)(1527年 - 1590年)を生む。この小栗吉忠が徳川家康奉行人として浅井道忠・道多父子とともに名を連ね、文献史上に登場することになる。 *『国字分名集』〔文政10(1827年)年〕に、 :「''小栗又市家,清和源氏,本国三河,'' :''上野・下野・下総内2,500石,'' :''家紋 丸に立浪 桜花 五三桐,'' :''屋敷 神田駿河台'' 」 :と収録されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三河小栗氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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