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三河山本氏(みかわやまもとし)は、三河国の山本氏を称する土豪(あるいは小領主)。三河牧野氏の家臣となった山本氏は、これを先祖とする越後長岡藩家老家の山本氏となった。海軍元帥山本五十六は北越戊辰戦争で当主が戦死した同家を同藩藩士の高野家より養子入りして継いだことでも知られる(また同家の家伝は山本勘助弟・帯刀(帯刀左衛門)の末裔とする)。江戸幕府では、直参旗本の身分・山本氏にも先祖を三河発祥とするものがある。 == 三河国渡来前の伝説 == 山本氏の遠祖は、鎮守府将軍源満政であると伝えられる。源満政の玄孫、源重長が美濃国木田郷に住し、木田氏を称した。その子・木田重国は、承久の乱で後鳥羽上皇に味方して、討ち死にした。その甥、木田重季(通称・吉野冠者)も伯父と共に討ち死にした〔「甲斐国志」人物部の山本勘助に関する、上野晴朗の引例記述による。→参考文献の1、71 - 72頁。〕。 木田重季の子孫は、駿河国富士郡山本村(現在の富士宮市山本)に渡来して、在地の土豪となった(あるいは同地の神社の祝詞職になったとする伝承もある)。この木田氏は、後に木田貞久(弾正)が山本と姓を改めて、駿河・遠江の戦国大名、今川氏に仕えた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三河山本氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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