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『三河物語』(みかわものがたり)は、大久保忠教(彦左衛門)によって書かれた、徳川氏と大久保氏の歴史と功績を交えて武士の生き方を子孫に残した家訓書である。 == 概要 == 寛永3年(1626年)から同9年(1632年)頃に成立した〔三河物語諸本のうち、奥書の年次が最も古いものは上中下巻すべて元和8年(1622年)である。しかしその内容は、元和9年に将軍となった徳川家光を「当将軍」扱いしていたり、本多正純が佐竹氏に預けられた件(寛永元年=1624年の出来事)が記されていたりと、明らかにそれ以降の内容が含まれているため、このように推測されている(『東京大学史料編纂所報 5号』所収「三河物語の成立年について」高木昭作)。〕。上・中・下の3巻からなり、上巻と中巻では徳川の世になるまでの数々の戦の記録が、下巻では泰平の世となってからの忠教の経験談や考え方などが記されている。 忠教は「門外不出であり、公開するつもりもないため他家のことはあまり書かず、子孫だけに向けて記した」「この本を皆が読まれた時、(私が)我が家のことのみを考えて、依怙贔屓(えこひいき)を目的として書いたものだとは思わないで欲しい〔下巻の巻末より。同様の文章は同じく三河出身の室町時代の武将今川了俊の著書『難太平記』にも記されている。〕」と記しているが、書かれてすぐに写本が作られた形跡があることが指摘される〔平山優『検証 長篠合戦』2014年、p.21〕。 江戸時代には写本が一般に出回り、人気になったと伝えられている。ただし一般に流布したものは下巻の後ろ1/3ほどが欠けている〔「三河物語の成立年について」高木昭作〕。 戦国時代から江戸時代初期を知るための一次史料であるが、徳川びいきの記述が目立ち、創作もある〔一例として、松平信康の切腹事件についての記述は、『家忠日記』や「安土日記」(『信長公記』の一部)、『当代記』などの記録と食い違っていることから、事実ではないと見られている(谷口克広『信長と家康―清須同盟の実体』および桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』)。〕。さらに踏み込んで、政治性を強く帯びた「譜代プロパガンダの書」だという指摘もある〔山室恭子「群雄創世紀」〕。また、内容には歴史著述だけでなく、忠教の不満や意見などがそのまま現れている。 珍しい特徴として、仮名混じりの独特の表記・文体で記されており、この時代の口語体を現代に伝える貴重な資料としての側面もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三河物語」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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