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三津の朝市 : ミニ英和和英辞書
三津の朝市[みつのあさいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
朝市 : [あさいち]
 (n) morning market
: [し]
  1. (n-suf) city 

三津の朝市 : ウィキペディア日本語版
三津の朝市[みつのあさいち]
三津の朝市(みつのあさいち)とは、愛媛県松山市三津浜地区において1981年まで続いてきた朝市の事である。また現在でも、松山市中央卸売市場水産市場のイベントとして開催されている朝市のことを、往年の姿を懐かしみ三津の朝市と称している。
== 歴史 ==
三津の朝市の歴史は古く、今から約500年以上前の1467年(応仁元年)に、河野通春が港山城主となり、毎朝城兵の米穀魚菜を近郷の民より買上げ、三津浜の海岸に多人数集合市場ができ、それが今に名高い「三津の朝市」の発祥といわれる。また、これから150余年後の1616年(元和2年)4月15日、松山藩加藤嘉明(当時)に下松屋善衛門が魚を売買したのが始まりともいわれている。いずれにしても瀬戸内海の好漁場を背景に魚の売買取引はかなり以前より発達していたものと思われる。
その後、1663年(寛文3年)、次の松山藩主、松平定行が家老である三津の天野作佐衛門ほか2名に対し魚問屋を申し付け、生魚の問屋17名としてこれに出入する漁夫を定め、また5里以内には魚市場を開かせないようにし、1737年(元文2年)には、三津須先町砂浜に毎朝魚問屋を集めて吟味の後、監督の下に円陣を張り取引させるなど、次第に市場としての形態を整えていたようだ。
1872年(明治5年)には魚問屋16名が協同して魚市場を設立した。その後、明治に入り欧米の資本主義経済の導入により、その影響を受けた別の魚問屋15名は、1880年(明治13年)、株式会社を設立し、魚商人108人と特約し取引を行うようになった。後にこの両市場は合併し、会社を設立、1888年(明治21年)には円型市場を建設、営業を開始している。
1927年(昭和2年)には三津浜町が魚市場を買収し、町営市場となり、1940年(昭和15年)、三津浜町が松山市と合併して松山市営魚市場となった。
その後、松山市民の台所として親しまれていたが、1981年(昭和56年)9月に開設された松山市中央卸市場水産市場にその役目を引き継いだことで実態としての三津の朝市は終了し、現在に至っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三津の朝市」の詳細全文を読む




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