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三浦利美 : ミニ英和和英辞書
三浦利美[みうら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [うら]
 【名詞】 1. inlet 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 

三浦利美 ( リダイレクト:クラッシャー三浦 ) : ウィキペディア日本語版
クラッシャー三浦[くらっしゃー みうら]

クラッシャー 三浦(クラッシャー みうら、1963年12月23日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は三浦 利美(みうら としみ)。青森県南津軽郡大鰐町出身。第48代日本バンタム級王者。現役時代は国際ボクシングスポーツジム所属。現在はドリームボクシングジム会長として後進の指導に当たる。エディ・タウンゼント賞受賞トレーナーでもある。弘前電波工業高等学校(現・弘前東高等学校)卒業〔。
== 来歴 ==
高校時代はボクシング部に在籍し、1981年の国体では高校団体3位の成績を残した〔。その後、同郷の高橋美徳が経営する国際ボクシングスポーツジムでプロへ転向し、1982年5月25日、プロデビュー戦に4RTKO勝利を収めた。同年7月23日のプロ2戦目からライトフライ級新人王戦に参戦したが、9月4日の予選2試合目で倉持正(角海老宝石)と対戦し、判定負けを喫した。この後、1年9か月リングを離れるが、親友のレパード玉熊の活躍に奮起し、復帰を決心した〔。
1984年にも新人王戦に参戦し、予選を2試合連続KOで勝ち進んだが、11月10日の東日本スーパーフライ級新人王トーナメント準決勝で田中小兵太(新和川上)に判定負けを喫した。1987年にはA級トーナメントにバンタム級で参戦。3試合連続の序盤KO勝利を収め、10月22日に優勝を果たした。
1988年7月11日、田中小兵太と日本バンタム級王座決定戦で再戦し、判定負けとなった。翌1989年6月12日、尾崎恵一(オサム)の持つ日本バンタム級王座に挑戦し、判定勝利で新王者となった。同年11月11日、米坂淳(北海道)を迎えての初防衛戦で判定勝利を収めたが、翌1990年2月17日、岡部繁(セキ)との2度目の防衛戦に判定負けを喫して王座を失い、この年に選手活動を引退した。
現役引退後は国際ジムでトレーナーを務め、1999年に和田剛を第46回全日本スーパーバンタム級新人王(技能賞受賞)へ、2001年にセレス小林を第13代WBA世界スーパーフライ級王座へ、2002年にトラッシュ中沼を第46代日本フライ級王座へ導くなど活躍した。この間2001年には、第12回エディ・タウンゼント賞、2001年度年間優秀トレーナー賞を受賞している〔新田渉世 「戦士と語る =現場編= その16/ドリームジム 三浦利美会長 」 Talk is Cheap、2004年4月。〕〔ドリームボクシングジム - 会長紹介 〕。2002年5月〔ドリームボクシングジム - ジム紹介 〕、国際ジムから独立し、ドリームボクシングジムを開設した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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