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三浦 将明(みうら まさあき、1965年9月17日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 川崎市立御幸中学校在学時は同校軟式野球部に所属し投手として活躍した。 高校は県内および東京の私学校から熱心な誘いを受けるも地元神奈川の強豪である公立の伝統校、Y校こと横浜商業高校に入学。1981年秋の新チームからは1年生ながら長身から投げ下ろす速球と縦に割れる大きなカーブを武器に主戦投手としてチームを牽引、旧くからのライバル校である横浜を筆頭に桐蔭学園や東海大相模、法政二や日大など数多の強豪私学がひしめく秋季神奈川県大会を制するとともに、その後行われた第34回秋季関東地区高校野球大会では決勝で上尾に延長12回1-0でサヨナラ負けを喫し惜しくも敗れるも準優勝となり、翌春行われる選抜甲子園大会への同校44年ぶりの出場をほぼ確定させた。 三浦自身初の甲子園出場となった1982年春の第54回選抜高等学校野球大会では1回戦の八幡大付(九州)に2-1、2回戦では彦野利勝投手を擁する愛知(東海)に6-2と快勝しベスト8に進出。準々決勝では憧れでもあったエース荒木大輔投手に小沢章一、板倉賢司らを擁する優勝候補の一角、早稲田実(東京)と対戦。試合は早稲田実に中盤先制点を許すも3番の荒井幸雄や4番高井直継を始めとする打線の援護により試合後半で荒木を攻略、見事3-1での逆転勝利を収めた。 準決勝は大会屈指の右腕、榎田健一郎投手を擁する優勝候補のPL学園(近畿)と対戦。三浦、榎田両投手の力投により両校譲らぬ接戦を演じるも後半は逆転のPLの歴史に違わない怒涛の粘りにあい、結局試合は9回裏3-2での逆転サヨナラ負けとなり惜しくも決勝への進出とはならなかった。 ちなみにPL学園はのちの決勝で2年生エース野中徹博を擁する中京(東海)を準決勝で破った東京の二松学舎大付に15-2の大差で勝利し、前年春の選抜大会優勝に続く春選抜2連覇を達成した。 水野雄仁のいた池田、桑田真澄と清原和博のいたPL学園と、時代を築いた3チーム全てと対戦した。また、清原和博の甲子園第1号ホームランを打たれた投手でもある。 1983年ドラフト3位で中日入団。プロでもカーブの評価は高かったものの、球威不足と言われあまり活躍は出来なかった。1990年現役引退。 引退後は佐川急便に入り、軟式野球部に入る。2012年時点ではスポーツDEPO小牧店でベースボールアドバイザーとして勤務中〔週刊ベースボール2012年4月16日号 P14〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三浦将明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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