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三浦 桃寿丸(みうら とうじゅまる、生年不明 - 天正12年(1584年))は、日本の戦国時代の武将。父は三浦貞勝、母は円融院。異父弟に宇喜多秀家がいる。 == 生涯 == 生年は父・貞勝が死亡した永禄7年(1565年)以前と推定される。備中松山城主三村家親により父が自害したため、母と共に備前国に逃れた。一説には備中に隠れたともされる〔『虎倉聞書』〕。その後母が宇喜多直家の室となったことから、義父の直家に育てられることとなったという〔『作陽誌』〕。その後、元亀3年(1572年)異父弟の宇喜多秀家が産まれている。 天正10年(1582年)、桃寿丸と秀家は羽柴秀吉に拝謁したとされる〔。 天正12年(1584年)、京都に上った時に地震に遭い圧死し、美作三浦氏は断絶したという〔。享年は23と伝えられている。なぜ京都に上ったかは理由は不明。また、地震は天正12年11月29日(1584年12月30日)〔『京都歴史災害研究 第6号』 P191より〕にあったとの記録があり、桃寿丸もこの時に被災した可能性があるが、文禄5年・慶長元年7月12日(1596年9月4日)の伏見地震で圧死したという説もある(※原出典によって元号が異なるので両方併記させた)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三浦桃寿丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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