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三浦 正俊(みうら まさとし、生年不詳 - 1565年(永禄8年))は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。内匠助、備後守を名乗る。真俊は子。 == 概要 == 出自は定かではない。 天文年間、今川義元より嫡男・龍王丸(後の今川氏真)の傅役の頭人に任じられ、氏真が実際の政務にあたるようになると側近(奏者)として活躍した。特に桶狭間の戦いにおいて、留守を任された氏真の命令・感状などの多くに正俊の連署が見られ、正俊の許可のない公用伝馬の利用は禁止されている。 氏真の信頼が厚く遠江を中心に300貫の所領を得た事などから、今川氏を衰亡させた奸臣されることがあるが、(当主の氏真自身の才覚やその側近を)今川氏衰亡の原因とする説に反論する説もある。 桶狭間の戦いの数年後に今川氏から独立した徳川家康に寝返った飯尾連竜に対し、氏真の命により飯尾氏の居城引間城(後の浜松城)を攻めたが、戦死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三浦正俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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