|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 三 : [み] 1. (num) three ・ 浦 : [うら] 【名詞】 1. inlet
三浦 淳史(みうら あつし、1913年11月1日 - 1997年10月13日)は、日本の音楽評論家。秋田市生まれ。イギリス音楽の第一人者として知られた。 == 略歴 == 父は北海道帝国大学工学部で冶金学の教授を務めていた〔「故三浦淳史さんの思い出 - 伊福部昭さんに聞く」聞き手・谷本裕、北海道新聞、1997年10月16日夕刊〕。札幌第二中学校(現札幌西高等学校)で伊福部昭、佐藤忠良らと知り合う。北大予科在学中の1934年、伊福部らと共に「新音楽連盟」を結成。当時に映画慕情のモデルとなるイアン・モリソン氏(映画ではマーク・エリオット)に英語のてほどきを受ける。�その後“落第”〔三浦曰く「まだ“留年”などという美しい言葉の発明されていない時代だった」(『レコードのある部屋』p.182)〕して東北帝国大学に転じる。1940年、同大学法文学部卒業。ここでは村岡典嗣による日本思想史の講義を受講したという〔『レコードを聴くひととき ぱあと1』p.157〕。北大予科在学中から音楽誌『月刊楽譜』〔山野楽器が発行していた音楽雑誌で、『音楽の友』の前身の一つ。同誌は1941年に行われた雑誌の戦時統合により、『月刊楽譜』と『音楽世界』、『音楽倶楽部』が一つになって生まれた。〕に「札幌楽信」等を寄稿、戦後音楽誌の復活に伴い、音楽ジャーナリズムで活躍するようになった。イギリスをはじめとする諸外国への取材旅行を重ねるのみならず、タイムズ紙やタイム誌といった新聞雑誌〔例えば、『レコードを聴くひととき ぱあと2』だけでも20を越す新聞雑誌の名前が登場する。〕からグローヴ音楽事典に至るまで、洋書を広く渉猟して欧米の音楽事情に精通し〔、「海外屋」の異名をとった。そのため、出版社やレコード会社からの信頼も厚かった〔。イギリスの作曲家では、ヴォーン・ウィリアムス、フレデリック・ディーリアスなどを高く評価していた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三浦淳史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|