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三浦 為時(みうら ためとき、慶長14年(1609年) - 延宝4年11月11日(1676年12月15日))は、紀州藩家老三浦家2代当主。 父は三浦為春。母は篠子主計の娘。叔母は紀州藩主徳川頼宣の生母養珠院。正室は小笠原清政の娘。子は三浦為隆、安藤直清室。幼名満之助。通称左近将監。官位は従五位下長門守。 == 経歴 == 慶長14年(1609年)三浦為春の子として水戸で生まれる。慶長16年(1611年)駿河に来て、慶長20年(1615年)7歳で従兄弟の徳川頼宣に拝謁。元和5年(1619年)頼宣の紀州転封に父と共に同行。元和7年(1621年)13歳で頼宣に仕える。 元和9年(1623年)頼宣の供をして上洛し、大御所徳川秀忠、将軍家光に拝謁する。寛政元年(1624年)父の隠居により家督相続し、自身の2,000石と合わせ知行1万石となる。寛永3年(1626年)頼宣の供をして上洛し、後水尾天皇の二条城行幸に供奉する。寛永14年(1637年)従五位下長門守に任官。江戸城で将軍家光に拝謁。寛永17年(1640年)家光より赤坂に屋敷を賜る。承応元年(1652年)父為春の死去により隠居料5,000石も相続し、知行1万5,000石となる。寛文7年(1667年)紀州藩大老となる。延宝4年(1676年)11月11日死去。享年68。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三浦為時」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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