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『三熊野詣』(みくまのもうで)は、三島由紀夫の短編小説。民俗学者の折口信夫をモデルにした作品である〔高橋睦郎「解説」(文庫版『殉教』)(新潮文庫、1982年。改版2004年)〕〔佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)〕。1965年(昭和40年)、雑誌『新潮』1月号に掲載され、同年7月30日に新潮社より単行本刊行された。同書には他に3編の短編が収録されている。現行版は新潮文庫の『殉教』で刊行されている。翻訳版は1989年(平成元年)にジョン・ベスター訳(英題:Acts of Worship)でなされている。 歌人で国文学博士の老教授と、先生を崇拝する弟子の寡婦が熊野詣に旅する物語。亡き初恋の人の名前を象る三つの櫛を熊野三山の内庭に埋める先生に同道しながら、様々な想いが錯綜する静かな女の心理と、彼女を証人にして自らの物語を創造しようとする孤独な人間の姿が、荘厳な熊野の風景を背景に描かれている。 == あらすじ == 身寄りのない寡婦の常子は、名高い歌人で大学の国文学教授の藤宮先生にかしずいて、もう10年も身の回りの世話をし同居しているが、二人の間には色事は全くない。藤宮先生の研究は有名で崇拝者も多いが、先生の風采は上らず、目は眇で異常な潔癖症であった。それでも常子は巫女のように藤宮先生を尊敬し、月一回の恒例の歌会で、自分の歌を先生に批評していただけるのを楽しみに生きている。 ある日、常子は先生から、熊野への夏の旅のお供を仰せつかった。先生は熊野の出身だったが故郷の村には立寄ることはなかった。先生の旅をいつも見送る立場だった常子は晴れがましさでいっぱいだったが、なぜ自分を旅へ同行させるのか不思議だった。那智滝を見た後、藤宮先生は熊野那智大社の内庭で、「香」「代」「子」の文字のある三つの櫛を紫の袱紗から取り出し、「香」の櫛を土に埋めた。常子は生れてはじめて嫉妬を感じたが、それを手伝った。それまで楽しかった旅中での陽気な新しい常子は消え、元の地味な常子に戻った。先生から拝借した永福門院集を読み、常子は自分には歌を作る才も資格もないのを感じ、先生の前で涙を流した。 翌日も藤宮先生は、熊野速玉大社で「代」の櫛を埋め、熊野本宮大社で「子」の櫛を土に埋めた。「香代子」という人はきっとすでにこの世を去った美しい女人だろうと常子は想像し、もう嫉妬もなく寛容な気持だった。藤宮先生は櫛の由来を常子に打ち明けた。先生は郷里に香代子という恋人があったが、親に仲を割かれたまま香代子は病で死んだというものだった。香代子は三熊野詣に行くことを望んでいて、少年の先生は「僕が60歳になったら、きっと連れたる」と言っていたのだという。 あまりに美しすぎる話に、常子は女の直感でそれが、先生が自分の伝説を作ろうとしているのだと解った。常子は今自分が先生の伝説の証人にされていることを悟った。その美しい物語は全く先生に似合わなかったのだ。しかし常子はその物語を信じるふりをすることを固く決心した。同時に、常子には云わん方ない安堵が生れ、昨日の絶望が残る隈なく癒された。熊野の神霊によって解き放たれたように常子は晴れやかな気持になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三熊野詣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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