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三船 久蔵(みふね きゅうぞう、1883年(明治16年)4月21日 - 1965年(昭和40年)1月27日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道十段。大日本武徳会柔道範士。 身長159cm、体重55kg。小柄な体型ながら「空気投げ」などの新技をあみ出し、1945年(昭和20年)最高位の十段を授けられ「名人」の称を受ける。「理論の嘉納、実践の三船」といわれ、柔道創始者である嘉納治五郎の理論を実践することに力をいれたことから「柔道の神様」とあがめられた。現在、出身地の岩手県久慈市に三船十段記念館が建っている。 ==経歴== 1883年(明治16年)岩手県九戸郡久慈町(現・久慈市)に生まれる。久慈尋常高等小学校卒業後、郡役所に勤めるも数日で退職。呆れた父は一関中学(現・岩手県立一関第一高等学校)から遠く離れた仙台二中(現・宮城県仙台第二高等学校)に進ませた。そこで柔道に出会った三船は詳しく学ぶため(旧制)第二高等学校(現在の東北大学の源流の1つ)に通い詰めて師範の大和田義一に熱心に教えを受け、後に仙台二中に柔道部をつくった。仙台には三船と互角に戦える相手がいなかったため、1903年(明治36年)に上京して講道館に入門。横山作次郎の弟子となる。1904年(明治37年)に早稲田大学予科に入学し、翌年には慶應義塾大学部理財科に入学した(当時の早稲田および慶應は呼称のみの大学で、法的には旧制専門学校)。 球車、大車、踵(きびす)返し、三角固め等多数の新技を発明し、その真髄といえるのが隅落(別名空気投げ)である。講道館では横山作次郎に師事。講道館指南役、東京帝大・明大・日本体育専門学校(現日体大)等多数の大学・専門学校、警視庁の柔道師範として柔道の普及、後進の育成にも多大な功績を残した。 1954年(昭和29年)、久慈市名誉市民。1956年(昭和31年)、紫綬褒章。1961年(昭和36年)に文化功労者に選出される。1964年(昭和39年)には勲三等旭日中綬章を受章した。 柔道審判員としても活動し、1956年に東京で開催された世界柔道選手権大会で審判を務めている。1964年の東京オリンピックでは柔道競技運営委員を務め、国際的競技としての「柔道の完成」を見守った。その翌年の1965年(昭和40年)1月27日、喉頭腫瘍と肺炎のため81歳で永眠。同日、勲二等瑞宝章を授与され、正四位に叙される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三船久蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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