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三菱仲15号館(みつびしなかじゅうごごうかん)は、かつて日本の東京都千代田区丸の内にあった建築物である。 == 沿革 == 丸の内地区の大地主たるものであったかつての三菱合資会社が、東京府東京市麹町区八重洲町一丁目1番地(後の東京都千代田区丸ノ内2-12)の地所に事務所の建築を計画し、1917年(大正6年)10月15日より建設に着手して、1919年(大正8年)4月25日竣功を遂げた。 当建築は当初、久原鉱業(後の日産コンツェルン)会社が賃借して本社となし、1924年(大正13年)よりは同社の社員であった宮長平作が後の中央土木会社(後の日産土木、日産建設、りんかい日産建設)となる土木建築請負業を開設し事務所を置き、日産の本拠として1937年(昭和12年)建築された日産館へ移転するまで供されたのであった。 第二次世界大戦での日本敗戦後の1946年(昭和21年)3月22日、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) はこれを接収してエデュケーション・センターならびに米軍調達部をなし、1956年(昭和31年)1月18日殆どを解いた上、1958年(昭和33年)1月をもって三菱地所会社に返還するとした〔『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻494頁、下巻62-66頁、資料・年表・索引388頁〕。 そして会社はより規模大なる貸事務所建築の地所にあてるべく当建物を取り除くこととした〔『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 下巻108-110頁、資料・年表・索引408頁〕。会社はその際研究の一環として、東京消防庁監督のもとに火災実験を行うことを計画し、1961年(昭和36年)6月20日それを実行の上取り壊して、跡地に三菱電機ビルヂングと称する建築を完成させたのであった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三菱仲15号館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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