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三菱仲8号館(みつびしなかはちごうかん)は、かつて日本の東京都千代田区丸の内にあった建築物である。旧称三菱第12号館。ここではその別館についても記す。 == 沿革 == 丸の内地区の大地主であったかつての三菱合資会社が、第11号館に続く第12号館として東京府東京市麹町区有楽町1-1(後の東京都千代田区丸ノ内3-8)の地所に建築を計画し、1907年(明治40年)7月20日より建設に着手して、1910年(明治43年)8月5日竣功を遂げた〔『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻141-145頁、資料・年表・索引186頁〕。 三菱は1918年(大正7年)3月これを仲8号館と改称し、また同年4月より別館の建設に着手して6月竣功させ、これは同年8月1日より設置された丸ノ内仲通り郵便局が局舎とした〔『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻213-217頁、資料・年表・索引362-368頁〕。 1923年(大正12年)4月4日には扶桑海上火災保険(後の三井住友海上火災保険)の貸室より発火して2階以上を焼失し、然るに発生した関東大震災による被災を経て、同年12月復旧された〔『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻269-270頁、282頁、296頁〕。 1925年(大正14年)9月には既存別館が取り壊され、その跡地にて新たなる別館が1926年(大正15年)3月8日成された〔。 第二次世界大戦での日本敗戦後の1945年(昭和20年)12月31日よりは連合国軍最高司令官総司令部が接収の上、エコノミック・リサーチ・ビルと成した〔『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 上巻494頁、下巻62頁、資料・年表・索引388頁、394頁〕。接収は外国商社への貸事務所とすることを条件に1949年(昭和24年)7月をもって解除・三菱地所会社に返還され、以後は上記趣旨より通産省が賃借・管轄し、1952年(昭和27年)1月までそれらの用に供された〔。 そして会社はより規模大なる貸事務所建築への建て替えを図り、1956年(昭和31年)別館と共に取り壊して、跡地に新東京ビルヂングと称する建築の第1期部分を完成させた〔『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 下巻110-112頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三菱仲8号館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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